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□きっと彼は振り返らない
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別に何か問題が起こること無く会議は終了した。
黙々と帰り支度をする俺を先輩は不思議そうに見ていた。
普段はゆっくりと準備をするから、終わって早々にコートを羽織った俺に違和感を感じているのは分かっていた。

出来るだけ早く消えてしまいたい。
いや、消えてしまいたいと言っては語弊がある。
俺は消えてしまいたい訳ではなくて、あんなにも焦がれていた洸希の前から居なくなりたいのだ。
惨めで仕方がない。エレベーターの出掛けに言われた一言に心が不快なほどざわつく。あれがお世辞だったならどんなに良かったか知れない。

変に大人になった俺には悲しい位、良く分かった。あれがお世辞かそうじゃないか。


「深波。」

「…何?」

「久しぶりだし、この後暇なら飯食いに行かね?」


ほら、見ろ。

ズキリと傷んだ胸に、俺は呆れた。

アイツは何とも思っちゃいない。二年前のあの別れを、今では何とも思っちゃいないのだ。
完全なる過去、少し哀しい思い出。
だから何食わぬ顔で食事になんか誘えるのだ。


「…折角だけど、」

「もしかして、さ。」


断ろうと口を開くと、洸希は遠慮勝ちに口を挟んだ。


「お前、まだ……」

「――ッ、悪い!」


タイミング良く鳴り出した携帯に、俺はほっと息を吐いた。
先の句など、聞かなくても分かる。分かってるよ。


「もしもし。」


どこか上の空で電話を取った。

――まだ引きずってんの?


口にはしないけど、洸希の思いは伝わる。そして、俺の思いも。
伊達に10年も付き合っていたわけじゃない。それなりの事もしたし、些細な喧嘩もあった。
色々、あった。
それこそ、街行く恋人たちと変わりない。


「あんた声やば…元気?」

「とき、わ?」

「香貴でいいって。つか、マジで大丈夫なワケ?」


ダイレクトに伝わる、押し殺した笑い声とか、言葉遣いは悪いけど、心配しているような問いかけとか。


「…ダメだ。」

「は?マジで?」


この揺らぎは、辛いときに誰かにすがりたい俺の我が儘だ。
同じ事を二度と繰り返さないと、俺はあの時誓ったじゃないか。


「今どこにいんの?平気なの?」

「…う、ん。」

「…迎えに行くから、この間のカフェ、分かるか?」

「いい、よ。一人で平気だ。」


強がった訳じゃない。
ただ、繰り返しそうな自分から、遠ざけなければと思った。
北見洸希も、常盤香貴も。


「それが平気な奴の声かよ。行くから待ってろ。」


一方的に切られた電話に、否定するのとは裏腹に嬉しい気持ちも沸き上がる。


「深波?」


「悪い、北見。俺――」









きっと彼は振り返らない






震えた声に、洸希は黙って頷いた。
逃げるようにその場を後にした俺は心だけが急いていた。


『待ってろ。』


木霊した声。
待っていたら、来てくれる。
誰かが。
彼が。
待っていたら、迎えに来てくれる誰かが居る事が、酷く嬉しかった。


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