小説

□水曜の退屈
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「かえ、るか?」と確かに聞かれた。

告白されて、ぎこちないキスを交わして、二人でソファーに崩れて、また散々キスされて見つめ合ってそして―――
まさかの帰宅の勧め。

そこで帰すか普通?!いや別に何も期待とかしてませんけど!
なんて言い訳は「え、」と返した私にはできないんだろう。でも少しホッとしたのも事実で、ああけっきょく私はどうしたかったんだ。

……という自問自答がかれこれ小一時間続いて、奈緒子はうーん、と背伸びした。
これだけ考えても答えは出ない。
代わりに気づいたのは、私は答えを知りたかったんじゃなくて――


会いたかったんだ、ただ単に。




今日はこれないのかな。
あ、確か来れないって言ってた。
大きくひとつ息を吐いて時計を見れば、ショーのバイトにはまだ若干の余裕。

………
…電話、してみるか…いやでも!今講義中かもだし!こっちからかけたこととか…って関係ないか。そもそも今は恋人ど



…慣れないことは考えるものじゃない。

「…こいびとどうし」

確かめるように呟いてみる。と、まるで夢か幻のようだった昨日の出来事がじわりと現実味を帯びていく。
けれどもそれはまだ不安定で朧気で。
少しでも動けば霧散してしまう気がして、奈緒子はしばらくその場を離れなかった。









「君は今日でバハハイなんだな」
「エッ、そんな困りま」

言い終わる前に背中が向けられる。
今回も例外はなく、奈緒子のバイトは2日という短命に終わった。
いつもなら不遇な運命を嘆くところだが、今日ばかりはそうもいかない。上の空でゾンビボールは落とすわ、よそ見してタネをばらしてしまうわで、どう見たってさっきのマジックは酷い。
あのとき電話をかけてさえいれば…と三時間前の不甲斐ない自分に嫌気がさした。
ふと思い出してしまったり、つい植え込みの影を探したって、

「はぁ」

居るわけないのに。

「弱く、なったな」

苦笑いしてそう呟くと、もう一度息を吐いて奈緒子はとぼとぼ花やしきをあとにした。









いつもなら毎日嫌がらせのように賑わっている広場には、今日は誰もいなかった。
珍しいこともあるもんだ、とつかの間の平和を噛みしめてみるけれど、まだ部屋にかけ込むだけの元気はない。

(別に見つかってもいいや)

どうせ帰っても、部屋には電話。
いまだに上手く片付けられない感情だから、僅かでも繋がれてしまう道具があるのは辛い気がした。
いっそのこと部屋を追い出されれば、とまで考えてそういえば家賃は既に払われていたことを思い出す。

はぁ、とため息をついて、そしていつもとは真逆な自分に苦笑した。





分かっているのに大きな靴を探した。暖簾からもれるオレンジの日差しが、玄関先に細く寂しく光を落としている。
少なくとも、昨日の上田さんは強くてかっこよかった。あれこれ理由をつけて結局なにもしない私なんかよりもずっと、ずっと。

――頬が痛くなってもいい、この痛みが紛れるなら。

今はもう卓袱台に突っ伏したい気分だった。乱暴に暖簾をくぐり、ドサリと荷物を落とす。

けれど卓袱台には倒れ込めなかった。
そこには先客がいたし、それよりもまずやりたいことができたから。

迷いもプライドも今はどこかへ消えていた。












研究室に響くコール音を聞きながら物理学教授は、ぼーーっと電話を見つめていた。机の上にはレポートの山が築かれている。
今日はどうも仕事が手につかなかった。
まぁ私ほどの天才でも、たまにはこんな日もあるものだ。
いかんいかんと頭を振り受話器を取る。だが大学名を告げても名前を告げても、返ってきたのは「あ」とか「う」とかで。しかも蚊の鳴くような声。それでも、相手が誰かなんて問わなくたってわかる。

「山田」と呼びかけたら、今度ははっきりとした声で「う」と聞こえた。
「お、お前今日来れないって言ってたじゃん」
いきなり文句か。相変わらず建設的な会話ができないやつだな!
そう思いつつも、先ほどからやけに顔の筋肉がゆるんでいるのは隠せない。
「たまたま時間が空いただけだ、なのに家にいないなんて」
「バイトだったんですよ」
「そうか」
「…クビになりましたけど」
「、そうか」

今、少し喜んだ自分は後で叱っておこう。

「それで、あの」
「なんだ」
「………お弁当、ありがとうございました」

それは消え入りそうな声だった。

「え?」
「えっ、て上田さんじゃないんですか?」
「あ、いや。俺だが」

バイトに行っているのは知っていたから別に会えないこともわかっていたし、特にお礼を言われたいわけでもなかった。言われるわけがないとも思っていた。
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