小説
□七夕ぼた
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「できた!」
蒸し暑い部屋の中央。洗濯物と並んで細長い紙片が揺れる。
今日は紙を吊るせば願いが叶うというなんともありがたい日だ。
しかし文字を書きたいのは山々だが、それだと我が物顔で不法侵入してくる大男に見られてしまうのは確実。
だから、今年は念写をすることにしました。
笹に吊るして貰えなかったどころか願い事さえ書いて貰えなかったそれを、奈緒子はしばらく睨み付けた。
7月7日。
11年目の願い事。
「なんだ居ないのか。……留守なら留守って言えよ」
奈緒子の想像通り上田はやってきた。
「…ん?」
物干しに洗濯物以外のものを見つける。そわそわしながら盗み見た上田だが、表も裏も白紙のままだ。
だが上田はそこで引き下がらなかった。
いきなり短冊を物干しから外すと台所へと運ぶ。そしてガスコンロに火を付けた。
「わざわざ炙り出しか、フフフフ山田め照れやがって…!!」
「………。」
「…………。」
「…おおっ!?」
短冊は、文字を浮かべること無く炭へと変わった。
何故だ!まさか鉛筆で筆圧トリックの方だったのか!?
しばらくいじけていた上田だが、やがてそそくさと手近な紙で短冊を作ると、同じ場所に吊るしてその場を立ち去った。
帰宅した部屋の主は、畳まれた洗濯物を複雑そうな顔で見た。
「来てたのか…」
そういえば今日は雨だった。…関係ないけど。
ぽつんと取り残された短冊が寂しそうに揺れる。
「……あれっ?」
奈緒子はなにか短冊の様子がおかしいことに気づいた。本来書いてあるはずのない文字が見えたのだ。
「まさか――、念写成功!!?」
だが、興奮気味に文字を確認した奈緒子は言葉を失った。
“あの人に想いを伝えられますように”
「‥逆」
もう一度まじまじと見つめてみる、すると。
それは上田の字であった。
「…よけーなお世話だバカ」
「お、帰ってたのか。YOU久しぶりだな」
「上田…」
念写事件からものの数分で上田は来た。暖簾から顔だけを覗かせていつも通りの再会だ。
奈緒子は見るからに不機嫌そうな表情をしている。
短冊を指さして言う。
「これ、お前だろ」
「ああそうだ」
上田はどこか挑戦的だった。それが勘にさわったのだ。
「ふっ、ふざけんな!なに勝手に人の願い事決めてるんですか、わかったような気になるな!それにこんなこと全然思ってないし…」
一気にまくし立てたところで、上田がニヤニヤしていることに気づいた。
「な、なに…」
「何を勘違いしてるんだ。それは俺の短冊だよ」
瞬間的に、頭にのぼっていた血が顔に集まったような気がした。
「え、だ、だってこれ」
「それは俺が作ったやつだ。君のは…捨てた」
…なんだこれ。
「ああこの願い事はもちろん君より胸も教養もあるしとやかな女性に向けたもので」
なんだこれ。
「それよりも、なかなかムキになって否定してたな。まったく関係ないなら反応しないでいれば」
なんだこれ。なんなんだこれ。
「ハッ!もしかしなくても君、俺の事を」
くやしいくやしい
ほんと馬鹿馬鹿しいやめてください聞きたくない。
思わずその場にしゃがみこんで顔を隠した。
気づいたときには頭と背中に上田さんの手があって、私の手と頭は上田さんの胸だった。
もうかれこれ5分。律儀に私が泣き止むのを待ってくれている。
とっくに終わってるけれど。
今日は願い事を書けば叶うというすばらしい日。
でも、他力本願ばっかじゃだめだ。上田さんがこうして抱きしめてくれなければ、きっといつも通りに過ぎるはずだったから。
ゆっくり体を離してもう平気だと不器用に笑ってみせたら、ひどく安心したように微笑んだ。
頭と背中の熱が頬に移動するのがわかった。
なんだか恥ずかしい、けれど。
抵抗する理由なんて何もない。
出会って11年目の出来事。
(ってなに肩つかんで‥、っ!!)
(ちょ、ちょ、ちょっと待っ‥)
(聞いてないってば上田のバカ!)
(こんなことまで頼んでない!おいっ、短冊ーー!!!)
どうやら白紙の短冊を吊るしても願いは叶うらしい。
既に灰になっているとはつゆ知らず、奈緒子は過剰なサービスをしはじめる短冊に虚しく思いを馳せるのであった。