小説

□すきやき大作戦
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「…事件のにおいがします」
「物騒なこというなよ」

ようやく空気も暖まりはじめた昼下がり。奈緒子と上田は街頭をあてもなく歩いていた。

「だっていきなり、すき焼き奢ってやる、とか」

いぶかしげな表情で奈緒子は言う。

正確に言えば、その内容を伝えたのは手紙だった。とはいえ中身は、でかでかとした"すきやき"の文字と、その下にお情け程度に"無料券"と書かれた簡素な紙切れ。そして、10時に迎えに行く。とだけ書かれたメモ用紙なのだが。

「うるせぇ」
イライラしながら上田が答える。
思えば今日のスケジュールは、彼女に会ってすぐに破綻していた。


いつもの場所に次郎号を停めて、見慣れた狭い階段をよろよろあがる。定期的に何かがぶつかる音がして、なぜだか頭がガンガンする。
襟元を正して深呼吸をひとつして、いつもはしないノックをした。

「上田さんっ」

弾んだ声が飛び込んできてつい頬が緩む。しかし、次に聞こえたのは、
「早くすき焼き行きましょう」だった。

そのあと行ったすき焼き店でもそれらしい会話はまったくと言っていいほど無く、今に至る。


きっと山田は気づいていない。
(まったく、馬鹿らしい…)

「なんか上田さん、機嫌悪くないですか」
「そんなことない」
「ぜったいうそ」
「うるせぇ」
「…バカ上田」

なんだか寒くなってきたのを紛らわすように、財布から紙幣を抜き取ると山田に押しつける。
「アイス、買ってこい」



俺は傍らのベンチに腰をおろして自嘲気味な笑みを浮かべた。
きっと、先ほどの戦法は卑怯なのだろう。
いや、それだけじゃない。あの手紙だって卑怯だった。
何とでも意味が通るような方法を使って、たまたま彼女が自分の思惑とは別の意味でとってしまって、うまくいかなかったからそれで、イライラしているなんて。
自分の情けなさを痛感した。
その時。


見知らぬ虫が彼女にたかっているのが見えた。…二匹、だろうか。
思考をしながらも彼女に視線を向けていたことに感謝し立ち上がると、上田は足早に露店へと踏み出していった。





「お金なら持ってるんで…」
「いいっていいって、俺が払ってあげるから」
奈緒子は二人の男に絡まれていた。今は上田にもらったお金があるのでアイスを買うには事足りるのだが、どうしても譲ろうとしない。
この人たちに奢ってもらえば、1000円そのままネコババできるかも、と奈緒子が考え始めたころ。
「それにしても君、綺麗だよね」
「え、」
予想もしなかった言葉をかけられ戸惑った。そんな奈緒子を見て男たちは「もっとおいしいものがある」とか「奢ってあげるよ」と口々に言ってくる。
…なんでだろう、すごく魅力的な響きのはずなのにそのどれもが魅力的に聞こえない。
反射的に助けを呼ぼうとして――、すぐにその必要がないことを知った。

「彼女に何か」

上田さんが立っていた。ひどく無機質な声だった。

「こいつに奢ってやる必要ありませんよ、私が買い与えますから」






「君は危機感がなさすぎる」
こそこそ去っていく男達を見やりながらため息。
「いーじゃないですか。せっかく奢ってくれそうだったのに」
アイスを受けとりながら、奈緒子は口をとがらせた。
山田からさっさとアイス奪い取り、元のベンチに座る。
「もう知らない奴に奢ってもらうんじゃないぞ」
両手にアイスを持って俺に続く意地汚い女に、もう一度文句を言った。
「…なんでですか」
―ああもうこいつは。
イライラしながら答える。

「…下心があるからだ」
「した、ごころ?」
案の定、ポカンとした顔でおうむ返しされた。
「そうだ。でなけりゃアイスなんて奢るはずがない」
「…………」
奈緒子はしばし沈黙した後、「じゃあ…」と言葉を繋いだ。どこか遠慮がちで、しかし強い眼差しが向けられる。


「上田さんがあたしにアイス奢るのも、下心…ですか?」

「……………え」



正直、しまったと思った。
なんて返せば良いのかわからない。
しかし彼女の澄んだ瞳は答えを求めていた。

「答え」、を 。



沈黙が流れる。





…正確に言えば、あの手紙はすき焼きに誘うためではなかった。同封されていた自作の券も、でかでかと書かれた「すきやき」の文字を伝えるだけのもの。かしこまった便箋は分かりやすくハートマークのシールで閉じた。
どうしても、彼女に伝えたかった。


沈黙が重い。でも、もう返す答えは決まっている。


出がけに彼女に茶化されて、「高級な店に行くからだ」と誤魔化したスーツ。その襟元を正す。
深呼吸をひとつして、今日会ってすぐに伝えるはずだった気持ちを紡いだ。





「……………好き、だ」
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