今日の兄さん(2012年)

□12月10日
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「十年愛 3」


 毛布の中で、足元からキシリという音がした。
 熱によって荒い息をつく兄には、聞こえたかどうか。もしかしたら、機械鎧が伝える感触で、わかったのかもしれない。
 身動ぎして、隠すかのように、脚に毛布を巻き付けてしまった。
「兄さん、痛いの?辛くない?」
 尋ねてみても、無言のまま。
 向けられた背中から、腕を擦る。
「ね、油差そうか?」
「っ、やだ!」
「やだじゃないでしょ。そのままだと辛いでしょ」
 否定されても、やっと口をきいてくれたことにホッとする。
「やだってば…ベッド、汚れるし…」
「大丈夫だよ。一応、万が一のために、タオルでも敷いてやれば…」
「やだ。ほっといてくれよ」
 体を丸くして、完全拒否の態勢に溜息をついた。
「熱、下がらないよ。ね、兄さん」
「やだ」
「なんで、そんなに嫌がるのさ?たいしたことじゃないでしょ」
 言ってから、顔を覗き込むと、金色の目には涙がうかんでいて。
「ちょっと、なんで…」
「…恥ずかしいのが、わかんないのかよ…」
 枕に顔をすり付けている。
「おまえに、機械鎧触らせるの、嫌なんだよ。おまえが汚れそうで嫌なんだってば」
 ああ…と、思わず口から出てしまった声を、アルフォンスはどれだけ恥じたことか。
「兄さん…」
「触るな」
「この機械鎧は、僕のものでもあるんだよ。僕のものを、汚いなんて言ってほしくないな」
 旅をしているときは、そんなことおくびにも出さなかったくせに。
 弟が生身を取り戻した途端に、そんなことを言い出すのか。
「おまえのものじゃない。俺のだ。俺だけのものだ」
 頑なに拒絶する体を無理矢理開き、脚を毛布から引き出す。
「あっ、馬鹿、やめろ!」
「これは、僕のものだ」
 体温で温まっても、芯は冷たいままの鋼の爪先に、唇を押し当てた。
「愛してる。兄さんの全てが、愛しくて仕方ない。僕にとって、汚いとこなんてないんだよ」
 大きく見開いた瞳から、涙が一粒だけ零れる。
「僕のほうが汚いよ。兄さんを、こうして汚してる」
「アル…」
「僕と歩く道は、兄さんが思うほど綺麗なんかじゃない。それでも、兄さんにいてほしいと願う僕こそ、汚い」
 脚をそっと降ろすと、細い指がアルフォンスの頬を、輪郭をたどるように撫でる。
 もう一つ流れた涙は、落ちる前に、アルフォンスの指先を濡らした。
「苦しいの、兄さん?」
「苦しくなんか・・・」
 発熱した体を冷やすこともなく、傷跡の熱だけを奪ってしまう機械鎧だが、エドワードにとっては紛れもなく大切な「脚」なのだから。
 溺れるように酔う愛も、溢れる禁忌の鎖で縛られ、許されることなど望まずに自らを傷つけて決して消えることなく心に刻む。
「アル・・・」
「早く元気になって。兄さんが苦しいと、僕も苦しい。だから、早く元気になってね」
 望むことは、自分のエゴなのだと。エドワードに罪はないのだと、回りくどい言い方でしか受け入れてもらえない。
「寝てれば、治る」
「寝てていいよ。僕が全部引き受けるから」
 許されるなら、本当に。
「おやすみ、兄さん。次に目が覚めるときは、きっと熱も下がってるよ」
 苦笑して目を閉じた兄は、先ほどよりも安らかな寝息を立て始めていた。
 少し、落ち着いたのかもしれない。
 今のうちに、機械鎧に油を差してしまおう。
 撫でていた兄の髪が、指先から滑り落ちた。




終わり。

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