『サン・ハウス』



(26)

朽木白哉がルキアへ向ける視線は、安堵でも喜びでもなければ怒りでも悲しみでもない。何時も、変わることなく向けられていた感情の揺れる事がない瞳。
その目に、ルキアは射すくめられて動く事が出来なくなった。

「白哉兄様・・・何故ここに・・・」

喉が貼り付いて、上手く喋れない。ただ、どうして、何故ここに白哉がいるのかが理解出来ない。その疑問には白哉が応えた。

「お前がここに居ると連絡があった。」
「連絡・・・?」
「こちらの家の方からだ」

一護が白哉兄様に連絡をした?
信じられないが、確かにこの家に白哉を招いたのは一護だった。

「義妹が大変迷惑をかけたようで申し訳ない。この礼はまた改めてさせて頂く」
「いえ、迷惑なんて・・・。彼女はハウスキーパーとしてとてもよく働いてくれました」

「ハウスキーパー・・・」
その言葉に白哉の冷たい瞳が更に冷やかさを増した。

「なるほど、花嫁修業は役立ったということか。今回は朽木家の者としての自覚が余りにも足りぬ行為だったが、それだけでもよしとしよう」

やはり義兄は何も変わっていない。どうして私が家出などしたのか、その理由を問う事もしない。私の『こころ』など彼にとってはどうでもいい事なのだ。
一護の家に来てから絶えず灯っていた温かい胸の灯火は消え去り、急速にルキアの心は冷えていった。

「ルキア、家に戻るぞ」

「今、すぐに・・・!?」

差し出された手はルキアにではなく出口を差していた。
この家からの退場宣告。こんなあっけなく終わろうとしている幸福な時。

「申し訳ないが、ルキアの荷物を処分させに後で人を手配します」
「いえ、必要がないのならばこちらで処分しますからお気づかいなく」

白哉の言葉にそう答えたのはウルキオラだった。
酷い、私の思い出を全てゴミにして捨ててしまうの?

「一護・・・」

縋る思いでルキアは一護を見た。
ルキアは一護に止めてほしかった。
行かなくてもいいと、ここに居てもいいんだと、ルキアの居場所はここなんだと言ってほしかった。

「妹が居なくなるみたいで淋しいけど、元気でなルキア」

そう言って一護は微笑んだ。
足元が崩れる音をルキアは聴いた。
全てが終ったのだ。
「妹」。それが一護のルキアへの答えだった。
そして、ハウスキーパーとしてのルキアも、もういらないのだ。

ルキアは一護とウルキオラとグリムジョーを、自分が過ごした大好きな部屋を見渡した。
温かかった場所。
私の大切な居場所だった。
込み上げてくる想いをルキアはぐっと押さえた。
自分には怒る事も我儘を言う資格も始めからない。
一護は、この家は見ず知らずの行き場の無い私を受け止めてくれた。それだけでも感謝をしなくてはいけないのだ。
それなのに、この先ずっとこの家に居られると錯覚していた。
私は何を夢見ていたのだろうか。
夢の時間は終り。色の無い現実に私は戻るのだ。

「ルキア、ご挨拶を」
白哉に促されるまま、ルキアは深々と頭を下げた。

「お世話に、なりました」
そうしてルキアは一護の家を出て行った。





ルキアの居なくなった家は、灯りが消えたようだった。
元に戻った。それだけなのに。ルキアが居る事自体が本来ありえない事だったのだ。それなのに、この家の中の寒々しさといったらどうだ。
もっと別の方法があったのだろうか。
ルキアを危険に巻き込まず、今まで通りの生活を送る何かよい方法が。
そんなものはない。
ルキアの気持ちを受け止める術も。
ルキアの告白には心底驚いた。恩人として、兄の様に慕われているとは思っていたがその気持ちがそれ以上だったなんて。
拾った責任からルキアを妹の様に大切にしていた。そう、思い込もうとしていた事にあの時気が付いてしまった。
愛しい。妹の様にではなくただ、愛しいと。
いつからそんな風に想っていたのだろか。あの、小さな少女の事を・・・。
だから余計に傍には置けない。



「あーあ、これで美味い飯が食えなくなるな。またデリバリーとレトルトの日々に逆戻りか」

静かになった部屋に、グリムジョーの大きな溜息が響いた。

「自炊という手もあるぞ。何なら俺が・・・・」
「いい!買ってくるからてめえはなんもするな!」

ウルキオラの食材の塊レシピを、グリムムジョーは全力で拒否した。

「しっかしルキアの家をこんな短時間でよく見つけたな。あいつ、自分の事は何にも話さなかったのによ」
「当たり前だ、ルキアの身元などとうの昔に調査済みだ。この家に正体不明の人間を置く訳がないだろうが」


そう、ウルキオラはルキアの身元を既に調べていたのだ。
ルキアが何者なのか。
俺がルキアの身元を調べてくれとウルキオラに頼んだあの時。あっさりとルキアに関する調書が目の前に出された。

「朽木ルキア」
初めて見るルキアの本名。
朽木財閥当主朽木白哉の義妹。そこに至るルキアの生い立ち。・・・許婚の存在。
そこには一護の知らないルキアがいた。
ルキアの本来居るべき世界。
もし劣悪な環境であったならそんな所にルキアを返す訳にはいかない。しかし朽木家は日本でも指折りの名家。その心配も杞憂に終わった。
ルキアの安全を一番に考えれば家に帰す事が一番よい。
迷う必要はない。

そして、永遠のお別れを・・・・。



「―――淋しくねえ?」

不意にそうグリムジョーから問われ、一護は一瞬言葉を失った。

「・・・淋しくなんかねえよ」

「お前がこんな簡単にルキアを手放すとは思っていなかったんだがな。・・・妹、ねえ」

揶揄するようなグリムジョーの言葉は聞き流した。
きっとこれでいいはずだ。
ルキアにとっても、自分にとってもこれが最善の道のはずだ。

そう思わなければ、息が出来ない。



***

白哉の後を義務のように付いて歩き、ルキアはマンションの前に停めてあったベンツに乗せられた。
見慣れた街並みが過ぎて行く。
もう、この街ともさよならなんだ。
あの家にも、ウルキオラにも、グリムジョーにも。
――― 一護とも。

大好きだった。
初恋だった。
叶わない恋だったけれど。
ぽたぽたと堪えていた涙が零れてルキアの頬を濡らした。
泣いている姿を見られたくなくて、白哉から顔を背けるようにしてルキアは外の景色を見ている振りをした。
白哉はそんなルキアに気付いた風もなく、口を開いた。

「今回の浅はかな行動はあまり褒められたものではない。長々と説教をするつもりはないが、お前の為にどれだけの人間が動いたか、その事だけは忘れぬように。それと、この事は出来るだけ伏せてあるので他言無用だ。嫁ぎ先の家にも詫びを入れてある。結納はまた日を改めてという事で了承を頂いている。
お前は帰ったら何事も無かったように、元の生活に戻ればよい」

何も無かった事に。
それは、弱りきったルキアの心に止めを刺すには十分な言葉だった。

何も無かった事に。一護たちとの思い出も、初めて知ったこの想いも何もかもを無かった事に。
そうしてまた仮面を付けて心を閉ざし生きて行くのだ。
温かな灯火などない孤独な闇の中へ。
寒い。
ルキアは小刻みに震え出した身体をぎゅっと腕で押さえ付けたが、震えは一向に治まってくれなかった。







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