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□昔々に出した手紙
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部屋に線香の匂いが充満している。
外は快晴、気温は高く夏真っ盛りだ。
仏壇に線香をあげると、誘う様に小さく開いた引き出しが目に入った。
引き寄せられるようにその取っ手に手を掛けると、そこには一体何年経っているのだろうかというくらい古い封筒が入っていた。
その封筒には滲んだ文字でこう書かれている。

『テツ君へ』

間違いなくこの葬式の主役の物であろうその手紙の内容に、私は興味を持ってしまった。
悪いと知りながらその封筒を開く。
ボロボロの便箋を開くと、宛名同様に滲んだ文字が目に飛び込んできた。







前略

思い起こしてみれば、貴方と結ばれたのは一六の夏でした。
家庭の事情で政略的な婚姻となりましたが、私はそれでも嬉しかったものです。

私にとっては望んだ結婚であっても、貴方にとっては違ったことでしょう。
だからといって貴方の想い人を私が知っていたわけではありません。
貴方はいつもどこか遠いところを見ていて、それでいて何を考えているか、私には察することすら出来ないものでした。
それでもそんな雰囲気さえ貴方の魅力だと、私は考えるのです。
私は片想いでも幸せでした。

貴方のお義母様にも、私は本当に良くしていただきました。
空襲に怯える時も、空腹に耐える夜も、貴方のお義母様に冷たく当たられたことなど一度もありませんでした。
貴方とお義母様と過ごした日々は、今でも私の宝物です。
本当に、私は恵まれていたし幸せでした。
あの紙が届く、あの日までは。

赤い紙が家に届いてから、私は不安で不安で堪りませんでした。
貴方はいつもと変わらない笑顔で、『仕様の無い事ですから』と笑っていましたが、私にはとても受け入れることなど出来ませんでした。
日が近づくにつれて恐怖が心を蝕み、貴方に泣きついた夜もありました。
道行く人に縋る様に千人針を申込み、それに五銭硬貨や十銭硬貨を縫い付けても、私の不安は消えませんでした。
それでも、貴方は優しく頭に手を乗せてくれました。
私は何度も赤司君のお母様の様に貴方の目を潰してしまおうかなどと考えましたが、結局貴方のその眩しく輝く瞳を傷付けることなど出来る筈もございませんでした。

出征の前日、貴方は眠れぬ私を一晩中抱きしめてくれていました。
その腕の温もりが最期になるのではないかと、私は気が気ではありませんでした。
『大丈夫ですよ、必ず戻ってきます』と言う貴方の言葉ですら、私の震えを止めることは出来ませんでした。
遂に訪れた朝陽を、あんなに恨んだ日はあの日以来ございません。
ゆっくりと去って往く貴方の後姿を見て泣き崩れる私を、支えてくれたのはお義母様でした。

貴方の出征以来、私は呆けることが多くなりました。
家事も手に付かず、お義母様に心配ばかりかけていました。
体調も優れず食欲も湧かない状況を心配してお義母様に連れて行かれた病院で、私は貴方の子を宿していることを告げられました。
守らなければと強く思いました。
貴方が帰るその日まで、私はこの子を護るのだと思うと、不思議と力が湧いてくるようでした。
男手のない生活は大変な時もありましたが、赤司君が何かと世話を焼いてくれたのでなんとか暮らしていけました。

そして子が産まれ幾月が過ぎた頃、日本は終戦を迎えました。
急速に変化していく街の中で、ただ貴方の帰りを待ちました。
青峰君が一番に帰り、次に緑間君、紫原君と続々と帰ってくるなか、黄瀬君と貴方は中々帰りませんでした。

子が成長していき、一人で歩くようになった頃のことです。
私はその日、庭の落ち葉を掃いていました。
そこに現れた黄瀬君を一目見て、本当に良かったと心から喜びました。
青峰君や緑間君など幼少期に仲の良かった皆を連れてきた黄瀬君を家へ通すと、彼らは黄瀬君を先頭にきっちりと並んで正座をしました。
そして風呂敷の包みを取り出すと言ったのです。
『これだけしか持ち帰ることが出来ませんでした』と。

私は直ぐに理解しました。
震える手でそれを受け取ると、風呂敷の結びを解こうとしました。
しかし震えた手では上手く解くことも出来ません。
隣では息子が私に抱擁を要求していました。
やっとのことで結び目を解くと、中にはガーゼが入っていました。
何の汚れもない新品のガーゼを捲ると、そこには一枚の写真がありました。
紛れもない、私の写真でした。
いつ撮ったかも覚えていないような写真です。
黄瀬君が涙声で言いました。
『これだけ、渡してくれって…言われたんス』
遂に零れた涙を見て、誰も口を開くことはありませんでした。
ただ息子だけが、私に抱擁を要求していました。
私は震える手でそれに応えると、写真の裏にある文字を見つけました。
私は生涯、その文字を忘れることはないでしょう。
部屋には泣き声が響いていました。
ただ息子だけが、嬉しそうに笑っていました。

あれから沢山の時が流れました。
私はあの日、貴方の死を知った日に死のうと考えました。
でも直ぐに思い直しました。
貴方の忘れ形見を放って命を絶つ等、私に出来る筈が無かったのです。
私はこのまま生きます。貴方の元へ逝く時はもしかしたら皺々のお婆ちゃんになっているかも知れません。
もしそうなっていたとしても、貴方にあの写真の言葉と同じことを思ってもらえるのでしょうか。
貴方ならば、きっと同じ笑顔で笑ってくれると信じています。
私が逝くまでまだ時間がかかるかもしれませんが、待っていてくれるのならば幸いです。

私も、貴方だけを愛しています。


草々








何とも言えない後味の手紙を読んだ後、仏壇に目をやる。
そこには皺くちゃな曾祖母の写真と、その横に小さな写真立てがあった。
今まで気づかなかったその写真立てには、色素の薄い少年が映っていた。

読んでしまった罪悪感と、その内容の衝撃のせいか働かない頭で手紙を畳む。
綺麗に封筒にしまうと入っていた引き出しへと戻そうとした。
するとその引き出しの底にもう一枚の封筒があることに気が付いた。
何も書いていないその封筒は薄く、開いてみると一枚の写真が入っていた。
可愛らしい少女の写真だ。
さっきの手紙を読んでしまった私は、自然にその写真を裏返す。
そこに書いてある文字こそ、曾祖母を救った一言だった。


『例え此の命盡きようとも、唯君だけを愛す』




end.

 

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