05/02の日記

07:36
人になりたい
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いつも拍手をいただきありがとうございます。元気をいただいております!


後で考えようと思ってツイッターに放置していたネタをそろそろ回収しようと思います。

結界師には「人になりたい」と言うものがたくさん登場するわけですが、それぞれアプローチの方法が違うなと。
作中で人になりたいみたいに書かれていた奴をとりあえずあげてみます。

・妖怪達
とにかく外見を整えたら人間になれると思っていましたね。外を整えるというのがやり方。一番やり方としては稚拙だなーと。

・藍緋
外見を整えても人間にはなれないと知っている。「心」というものが関わってくることに薄々気がついている。外見含む人間社会を研究することによるアプローチ。

・白
肉体が人間であっても自分が人間ではないと考える。妖怪に混じることで外から「人間」を知ろうとする。

黒亡楼編はみな外側から人間を見てる感じでしょうか。

ここから漫画は人だけど妖怪になりたい奴のターン。そして再びでてくる人になりたい人。この人達はいうなれば内側からのアプローチなのかな?

・月久
自分に身内と役目をつくりあげ、なおかつ作ったという記憶さえ無くす。

・守美子
人の役に立つことで人であろうとした。


さて、人の定義とはなんなのかという話になるのですが、
@まわりが自分を人間だと思うこと
A自分が自分を人間だと思うこと
ということかなと考えたりします。
考えたといいつつ、多分どこかの本に書いてあったことなんじゃないかなと思うのですが・・・
この定義で考えると月久が一番上手ですよね。月久の記憶がない原因が故意か磨耗かはわかりませんが、それでも人間だと思いこむことには成功したのです。

七郎は人になりたいという描写はありませんでしたが、もしそうだとすると守美子と似た考えなんじゃないかなと思ったりします。
ただ彼は守美子と違いはっきり役割が決まっていて、与えられたものをこなせばもう人の役に立っている状態(?)なので問題ないのかな?

役割ってのが人間としての精神活動上重要だから月久は裏会を作ったのでしょうか。長く生きている分その辺りのことはよく考えていそうです。


同じように、二蔵さんは当主に相応しい出来のよい息子を待っていたのだけれど、同時に当主という重さがなければ人間として真っ当に生きられないかもしれないと思い、七郎を次期当主に選定したとかいう話をふと妄想した

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