WEB拍手ログ

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月のない暗い空だった。七郎がこれから果たそうとする役割を思えば好都合ではあったけれど、
それよりもあの深い闇に飲まれてしまいそうな不安が先にたつ。
空にめぼしい明かりを探して目を彷徨わせていると、扇子をはじく音がして七郎は正気に返った。
視線を戻すと厳しい顔をした父親がこちらを見ている。

「何をぼんやりしている」

「・・・すみません」

二蔵は苛立ちを表現するかのように、扇子で膝を小さく叩いた。 

「そのような小さな気の緩みが致命的な失敗に繋がるという事を心しておけ、馬鹿者。」

「はい、わかっています。」

無表情に返答する息子に満足したわけではないだろうが、時間がそうあるわけでもない。
二蔵は話を進めることにしたようだった。一つ大きく呼吸をした後、扇家当主として目の前にいる後継者に語りかける。

「では、扇七郎。」

「はい」

「お前はこれから初めて人を殺す。いかに若かろうと扇家の正統となるにはこの呪われた業から逃れることは出来ん。扇家の歴史は死者の歴史、死体を積み上げることで我ら一族は繁栄を果してきた・・・」

しばしの沈黙。パチリ、と扇子が音を立てる。

「そしてその頂にいるからには誰よりも血に塗れて無くてはならない。」

二蔵は扇子を七郎に向け、厳然たる口調で命令を下した。




「己が扇家正統であること、流された血でもって証明せよ。―――では行け」




父親の言葉を合図にして七郎は立ち上がった。後ろを振り向くと下座に居並ぶ兄達の目線が突き刺さる。初めてその手を血で汚そうとする弟を、それぞれの眼差しで見つめている。
無関心な目線。好奇の目線。憎悪の目線。

七郎はそんな目線に怯むことなく、いつもの笑みを浮かべて見せた。人によっては小馬鹿にされていると思うかも知れない、自信を溢れさせた笑みを。

余裕を見せ付けるように殊更ゆっくりとその中を通り抜けた。横を通る時、兄達から激励の声がかけられる。

―――せいぜいお手並み拝見としようか。

―――家名に恥じないように。

―――失敗は許されん。

―――獲物に情けなんてかけるんじゃねぇぞ?その時はお前が死ぬ事になるぜ。

―――結果が楽しみなことだな・・・

ああ、やってやるとも。貴方達が何も言えなくなる程完璧な結果をだしてやるさ。

七郎は震える手を見られないよう拳を握ぎり込んだ。
これはまだ始まりにすぎないということを七郎は理解していた。深い闇の底を覗きこんだつもりでも、そこは淵の淵。
これから先何度も底を見たつもりになっては、まだ更なる深みがあることに気づき恐怖するはめになるのだろう。
覚悟は、出来ている。

暗い考えを振り切って襖を開ける。
廊下に出ようとしたとき、背後から遠慮がちな小さい声が聞こえた。声の大きな上の兄達にかき消されそうになりながらもそれははっきりと耳に届いた。
いっそのこと場違いともいっていいその言葉。

―――気をつけて、行ってこい。

瞬間、喉から声が出そうになるのをなんとか堪えた。襖を閉めて皆の視界から外れると体中に震えがのぼってくる。
ああ、覚悟を決めたつもりだったのに、あんな言葉で揺らいでしまうなんて思ってもみなかった。

そんな言葉をかけられるとまだ甘えて良いのかと思ってしまうではないか。
なにも知らない無邪気な子供でいていいのかと。



しかしその無邪気さがたくさんの人を追い詰めていた事をもう七郎は知っている。・・・自分はその責任をとらなくてはならない。



震える体を叱咤して七郎は廊下を進み続けた。
もう後戻りは出来ないのだ。







(おわり)

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