WEB拍手ログ

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ここ数年顔を見ることのなかった末弟の顔を久々に見た。ちょっと前まで地面をコロコロ転がっているような子供だった筈が、いつの間にこんなに大きくなったのだろうか。自分の年齢すらもはや数えてはいない一郎にとって、後から後から増える弟の年齢などいちいち気にするものでもない。ただ、それだけの年月がたったということに多少の感傷を覚えなくもない。何度も味わってきたものだ、これで最後か、これで最後かと思いながら。

目の前の末弟はあの忌々しい父親の顔にそっくりだった。特に目が似ている。・・・自分も若い頃は父親に似ていると言われたものだ。人間の容姿を捨ててからはそんなことをいわれることもなくなった。一つ切れた繋がりに凄まじい解放感を感じたことを覚えている。
だが、末弟の顔を見ているとそれを手放さなくてはならなかったことがどんなに無様なことであったか思い知らされる。屈辱だった。

「お久しぶりです、兄さん達。」

そう言って七郎は床に手をついて頭を下げた。その動作は若さに似合わず、堂に入ったものだ。まあ当然だ、正統後継者なのだからそのぐらいはできてもらわなくては困る。
弟の動作をいちいち採点しながら、一郎は鷹揚に頷いた。

「ふむ、大きくなったな。」

「最後に会ってから随分たちますから。」

そういって笑う末弟の顔は、造ったように端整で一分の隙も無い。

「で、一体何の用だ。」

「実家に全く顔を出さないでしょう?お父さんが気にして様子を見て来いといいましてね。」

全く面白い冗談だ。一郎は鼻で笑い飛ばした。

「フン、あの男がそんな殊勝なことを考えるわけなかろうが。」

「いえ、父さんはいつだって兄さん達のことを『心配』してますよ。」

そういって七郎は目の前に出された湯呑みを口に運ぶ。その品に溢れた動作を視界に入れながら、一郎は弟の発した言葉の意味を考えていた。

―――まさか感付かれたか?

神佑地狩り。術者として成長の限界を迎え、伸び白の無くなった一郎に残された最後の手段。その為に扇一族が管理していた神佑地を一つ潰した。さすがに黙認できず釘を刺しに来たのだろう。今更止まるつもりもないが。

「あまり無茶をされない方がいいですよ。兄さん達にも限界というものがあるでしょう?」

限界。一郎は被り物の下で眉を跳ね上げる。

兄の雰囲気が変わったことに気がついたのか、弟はニッコリと笑ってこう付けたした。

「ほら、裏会の仕事でお疲れでしょうし」

そのフォローが更に気に障った。

「ところで二郎兄さん、三郎兄さん、四郎兄さん、五郎兄さん、六郎兄さんはそこにいるんですよね。元気にしてらっしゃるんですか?」

もはや彼らの名前を口にするのは、自分達兄弟を除けばこの末弟ぐらいなものだ。そもそも周りに認知すらされていないだろう。わざわざ全員の名を呼ぶのはこの弟なりの思いやりというわけか。

反吐が出る。

「息災だ、今六郎はいないがな」

「え、なんでですか」

「仕事だ」

「そうですか。無茶してないといいんですが、あの人裏会の仕事にはあまり向いてなさそうですし。」

その点には心から同意する。六郎の性格ははっきりと裏会の仕事をこなすには向いていない。ただ彼は従順だ。居場所を得るためならなんでもする。・・・駒としてはまぁ悪くない。

「一郎兄さんもあまり六郎兄さんに無茶させないでくださいね。あの人、兄さんのいうことならなんでもハイハイ聞いてしまうんですから・・・」

「あれは自分の立場をわきまえておるだけだ。」

「兄さんの言うことをなんでも聞く事がわきまえているということなんですか?」

「従順であることがあれの唯一の価値だからな。それ以外はどうしようもない無能だが、兄弟のよしみだ、使ってやっておる。本人もそれをよくわかっておるのだ。」

末弟の完璧な笑顔は変わらない。ただ、微笑みの形に作られた瞳の奥に冷ややかな光が生まれたことに一郎は気がついた。

「そういう物言いは感心しませんよ、一郎兄さん。」

内心何を考えているのかは知らないが、それでも遥か年下でありながらこちらを穏やかに諭そうとするその態度が癪に障る。一郎は挑発的に言葉を吐き出した。

「ではどういう物言いなら満足されるというのかな後継者殿?どう言葉を飾ったところで事実は変わらん。」

「六郎兄さんは兄さん達のことが大好きなんですよ。」

「ああそうだろうとも。・・・お前相手とは違ってな。」

ピクリ、と僅かに末弟の笑顔が強張った。ざまあみろ。被り物の下で一郎は顔を緩ませる。

あの父親と似た顔が動揺するのをみるのはとてもいい気分だった。幾らこちらが何を訴えても糸一筋分の皺すら動かさないあの男。記憶の中ですら遥か彼方に隔絶されたその表情が、目の前の末弟に被さった。愉悦に顔を緩ませながら更に続ける。

「それに言っただろう?『本人もわかっている』と・・・」

そう言うと今度こそ七郎の笑みは崩れ、代わりに徹底的な無表情が姿を現した。それを見て腹を抱えて笑い出したい衝動にかられる。
ざまあみろ。
六郎は甘い。甘いが故にこの化け物ですら突き離せず、幼い頃から色々と面倒を見ていた。しかし今や六郎はこちら側の人間だ。一郎の命で泥を啜るような真似を何度もしてきた、それでもこちらから離れることはない。どんなにお前が同情したところでその情が決して届くことのないように。
これが我ら兄弟の絆なのだ。
お前に、お前達に、決して分け与えてやるものか。この化け物共が。


七郎はもう反論しなかった。一旦目を閉じ、ゆっくりと呼吸を吐き出す。そうして再び目を開いた時にはあの造った表情でにこやかに笑いかけてきた。

「まあ兄さん達の言う『兄弟の絆』については置いておいておきましょう。とりあえず父さんが気にしていることですし、一度本家に帰ってらっしゃい。いいですね。」

「その内にな。」

暗に帰らないことを告げるが、七郎は何も言わなかった。一礼して立ち上がるとそのまま部屋を退出する。廊下にでる直前、彼は振り返ると最後にこう言った。

「それでは僕もお父さんも楽しみにしていますよ。兄さん達が本家に『戻って来られる』ようになるのをね・・・。」

小さな笑い声を含んだその言葉に、一郎は思わず扇子を握り締めた。消えていく弟の背中を殺す勢いで睨みつける。

本家に帰らないのがお前達への劣等感故だと、そう言いたいのか。誰が劣等感など持つかこの化け物共が・・・!
見ていろ、いつか必ずお前達など超えてやる。
そう、どんな手段を使ってもだ!

先ほどから一郎の手の中でギシギシと嫌な音を立てていた扇子が、白鳥の首のように曲がり、ついにへし折れる。

そのまま一郎の手から滑り落ちポトリと床に転がった。


いつの間にか扇子に纏わりついていた黒い気配は、名残惜しそうに漂った後、ゆっくりと空気中に溶けていった。

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