テキスト2

□ログ12
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「お兄様を連れ戻さなくてよろしいのですか?」

頼まれた調査の報告をしている間中、正面を向いたままだった七郎は、この問いかけにもこちらを見る事は無かった。別にその態度が不満だというわけではない。ただ普段と違う態度に少し違和感を覚えただけだ。

部屋そのものが骨董品と言わんばかりの、典雅ではあるが古臭い、そんな扇家の数ある居間の一つに彼らはいた。黄みのかかった柔らかく薄暗い灯り。長年かけて染み付いた人の気配は濃厚に漂うくせに、どこか寒々しさを感じてしまうのは部屋の広さ故か。
敷かれているのは年代物のペルシャ絨毯で、使用人の手によって丹念に手入れされたそれは未だに繊細な柄をはっきりと保っていた。そして絨毯の上にはこれまた年代物と一目でわかる天鵞絨の長椅子。更にその上には歳若い自分の主人が、足を組んでだらしなく寛いでいる。そのだれた様子ですらどこか上品で、優雅な血統書付きの猫を連想させる。周りの雰囲気と相まって一枚の絵画のようだった。

この絵画の中で唯一そぐわないのは彼が手にしている携帯電話だけだ。
液晶から漏れる光は七郎の横顔を青白く染め、無関心な表情に冷ややかな色を加えている。

「どうせ無理矢理連れ戻した所でまた家出するのは目に見えてるんだし、好きにさせてやればいいよ。今更夜行に戻ったりはしないだろうし。」

空になった六郎の部屋を見た時も冷静だった七郎は、今も冷淡そのものだった。たいして興味がないといわんばかりに目の前の携帯をいじっている。

「てっきり外にお出しするつもりがないのかと思っておりました。」

「扇家の恥だからって?親父みたいなことを言うんだな。」

クスリと笑う声が聞こえた。その間も、カチカチと携帯のボタンを打つ音が止まることはない。

「・・・いえ、そういうつもりではございません。失礼致しました。ただ、わざわざ夜行から保護されたぐらいですので、外にお出しするのが危険だと判断されていたのではないかと思っていたのですが・・・」

「別にそういうわけじゃない。裏会との繋がりを絶とうっていう親父の判断だよ。それなのに身内が夜行にいると都合が悪いだろう?
兄さんが本家に戻った時点でうちと裏会はもう関係がない。・・・後は兄さんの気が済むまで好きにさせてやろう。」

「左様でございますか。」

この家の兄弟達は仲が悪い。それはもう周知の事実であったし、長らく続いてきた扇家の伝統ともいえる。身内の間で殺しあう話など枚挙に暇がなく、本来なら七郎のセリフも「扇家らしい」ものであり驚くには値しないのだろう。

ただ、依頼と関係のないところであれば、彼は情を持ち合わせた人間である筈で、意外だという思いを捨て切れなかった。―――反面、長兄の冷酷さはつとに有名だ。部下を使い殺すことも珍しくはない。そして先日はとうとう大量の部下に加えて弟まで使い捨てた。

その使い捨てられた末弟―――つまりは七郎にとってはすぐ上の兄ということになるが―――その彼を七郎は積極的に迎え入れた。
夜行から六郎を迎えに来て欲しいと言われた時、周囲の意図とはうらはらに七郎は「自分が行く」と強硬に主張した。使用人達を迎えにやればよいと誰もが反対したし、当主も良い顔はしなかった。次期後継者はそうそうあちらこちらに顔を出すものではない。
しかし「兄が暴れるかも知れない。そうなったら取り押さえられるのは自分だけだ」という、筋が通っているのかいないのかよくわからない理由を盾に頑として譲ろうとしなかった。
怪我人に暴れる体力など無いし、暴れる理由も無いでしょう、というと「お前はわかってないな〜」と言われてしまった。

「六郎兄さんは本家が大嫌いなんだよ。とにかく反抗してみないと気が済まないのさ」

わかってないと言われた所で、六郎の顔も人物もほとんど覚えていないのだからそんな事をいわれても困る。
しかしその嬉しそうな様子に不覚にも頬が緩んでしまった。七郎は有能で公平な良く出来た主人ではあるが、その為に非人間的な生活をして欲しいわけではない。
学校の友人達とも「世界が違うから」と壁を作っている状態だ、ここで世界を同じくする「兄」という存在がわずかながらでも彼の寂しさを拭ってくれるのではないかと、そう思ったのだ。実際兄が帰ってきてからの七郎は妙に楽しそうで、なにかしらの「気遣い」を実行していた。
効果があったかどうかはかなり・・・疑わしかったが。



しかしながら上の兄は怪我がある程度良くなると、すぐに本家を飛び出して行った。
人の気配の消えた空っぽの部屋を見る七郎は酷く冷静だった、まるですでに知っていたかのように。
なんの痛痒も受けたようには見られなかったが、あれから主が携帯電話に向かっている時間が増えた。そう感じる。

今も携帯に向かって、ひたすら外の誰かとメールで他愛のない会話を続けていた。扇家の外へ繋がる、一本の細い糸。

「まあ六郎兄さんの居場所は調査してもらってわかった事だから、後は野垂れ死にされないようにしっかりと見張っておいてよ。なにしろあの人ずーっと兄さん達にべったりだったからね。一人じゃなんにも出来ずにコロっと死にそう」

冗談めかした口調で笑いながら手をひらひらと振ってくる。
こちらに退出を促しているのだとわかったが、あえて無視をして言葉を続けた。

「本当によろしいのですか?」
「・・・なにがだよ。」
「お兄様を連れ戻すことです。」
「・・・」

七郎はパタン、と音をたてて携帯を閉じた。無表情な横顔はそのままで、何を考えているのかわからない。

「お兄様がいらっしゃった時の貴方はとても楽しそうでしたよ。」
「そう見えた?」
「はい。」
「それはお前の見間違いだよ。眼科に行った方がいいな。」
「・・・今度の休暇に行って見ることに致しましょう。それと七郎様」
「大概しつこいなお前も。なんだ。」
「お兄様を扇家に連れ戻すのが結局一番効率がよいと貴方もおわかりなのでしょう。いざとなれば監禁でもなんでもすればよろしいのです。
・・・なぜ連れ戻すのを躊躇われるのですか。わざわざ冷淡に振舞ってまで。」




―――死のような沈黙が辺りを支配した。
七郎は微動だにせずじっと床を見つめている。そのせいで自分も指一本動かすことが出来ない。
やがて足が棒になったかと思う頃、微かな声で七郎が呟いた。





「あの人はさ、優しすぎるんだ。扇家にいるには向いてないんだよ。関係のない所で暮らせるならそれが一番いいのさ。」





「・・・」

「それに一郎兄さんの仇と同じ屋根の下で暮らしてちゃ治るものも治らないだろうしね!」

気を取り直したように笑顔を浮かべる七郎を見て、何か気の利いた事を言おうとしたが、結局なにも言えなかった。ただ「そうですか」とだけ返した。もういい。これ以上聞くまでもないだろう。
・・・誰に重荷を任せることなく、一人で全て背負おうという主人に敬意を込めて深く、深く頭を下げる。

「・・・それでは長々と大変失礼致しました。またご用がありましたら申しつけ下さい。」

「ああ、ご苦労様」

回れ右をしてドアノブに手をかける。後ろで携帯を開く音がするのを聞きながら、静かに退室した。




七郎は「情」と「無情」を持ち合わせた、正統に相応しい人物だった。しかし「情」を持ち合わせているがゆえに彼は様々なものを背負ってしまったのだ。
いずれあの携帯の先にあるものさえ取り上げられる日が来る、その時彼は耐えられるのだろうか。


(結局「六郎兄さん」は頼りにならなかったな、全くどう転んでも役に立たないようだ)


せめて自分達が七郎の忠実な手足になろう。・・・そうすることで彼の重荷を少しでも取り払うことができればいいのだが。本来その役目を期待していた人物は遠い空の下だった。


―――まぁいい、自分達が最善をつくすまでだ。


そう決意新たに扇邸の母屋を辞した。
さて、これからまた仕事だ。






(おわり)




あとがき
扇家の使用人って七郎しか見てなさそうですよね。その上崇拝してそうだと思いました。

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