テキスト2

□御遣い
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天井近くにある天窓から太陽の白い光が差し込んでいた。空気中を漂う埃が光を反射してキラキラと輝き、長く続く薄暗い廊下の先を照らしている。
そんな中を、足音を反響させながら七郎は歩いていた。

使用人達の仕事がない中途半端な時間だと、扇邸の母屋は死んだように静まり返っている。
この静けさが七郎はなによりも嫌いだ。世界で自分が一人だけのように思えてしまうからだ。
生きているものは誰もいないのではないか・・・そう、自分がいつの間にか殺しつくしてしまったのではないかと、そう思えてくる。

かつてはそうではなかった。といっても記憶の彼方だ、はっきりと覚えているわけではないが、それでも思い出の中では人の歩く音や話し声がどこかで響いていたものだった。
考えて見れば、自分が小さな頃はこの母屋に父を含めて8人で暮らしていたのだ。
それが今ではたった2人。・・・そしてそう遠くない将来、1人で暮らすことになるのだろう。この広大な屋敷の中、たった一人で。

それが自業自得であることは理解している。この空間を埋める兄達は、七郎の手によって死者の行列に加わった。今や兄は1人しか生き残ってはいない。

「七郎。」

二階に上がろうと階段に足をかけたところ、声をかけられて七郎は足を止めた。先には階段の踊り場があり、扇邸で最も大きな天窓からスポットライトのように白い輝きが差し込んでいる。その光の下、溶け込むように、怪我で療養中の六郎が立ち尽くしていた。
彼の白い髪や着物が光を反射し、まるでそれ自体が発光しているような・・・随分奇妙な光景だった。何かを連想させるが、七郎には思い出せない。

「あ、ああ、兄さんか。驚いた。なにしてるのそんな所で?」

六郎は答えなかった。ただ黙ってこちらを見つめているのみで、七郎は首を傾げる。
彼は普段、用もないのにこちらに接触を持とうとはしない。不思議に思いはしたが、光に照らされて兄の表情は判然とせず、何を考えているのかさえわからなかった。

「なんで黙ってんの、怖いよ〜。」

わざと茶化すように声を上げると、六郎は懐から何かを取り出し七郎の足元に投げつける。
それは床にカツーンと軽い音を立てて転がったが、七郎は耳元で轟音を聞いたかのように固まった。
なんということもない、平凡な木の板。そこに刻まれた文字は

『八』。―――裏会幹部、第八客の証。

自室に隠しておいたものだったが、ついに見つかってしまったのか。いや、無意味に他人の部屋を荒らすような人ではない。探し出したというべきだろう。
・・・つまり彼は知っているのだ。この持ち主が一体どうなったか。

その考えを肯定するかのように、六郎は光の中から掠れた声で問いかけてきた。

「お前・・・兄さん達を・・・殺したのか。」

ついにこの日が来たかと七郎は身構えた。覚悟はしていた。していたが、それはきっと・・・もっと先の事だろうと思っていたのだ。
せめて兄の体が良くなってから・・・そう思い使用人達に口止めして回った。兄の体調など単なる口実にすぎないとはわかっていたけれど。

「どうなんだよ!答えろよ!」

怒鳴り声というにはあまりに勢いに欠けた兄の声に、七郎は平坦な声で答える。

「そうだよ。」
「なっ」

あっさりと肯定されたことに六郎が固まるのが分かった。
構わずに続ける。

「仕事だったんだ。」
「・・・仕事?神佑地狩りをしたからじゃないのかよ」
「それとは関係ないとは言わないけど、一番の理由は殺せと依頼されたから。」
「ふざけんな・・・!身内を殺せなんて依頼、受ける馬鹿がいるか・・・!」
「いるじゃない、ここにね。正確には受けたのは父さんだけれど。後継者になるための最終試験ってことで、俺が行ってきたよ。」
「最終・・・試験・・・?」

六郎の体が怒りで揺れるのを七郎は無表情で見ていた。

「じゃあなんだよ、兄さん達は単なるお前の踏み台ってわけなのか。で?それで合格したのか。
したんだろうな、お前はちゃんと殺してきたんだろうよ!親父や使用人共に『よく頑張りました七郎様』とでも言われたんだろうな、ふざけやがって!馬鹿じゃないのか・・・!」

六郎の激しい糾弾を、目を背けることなく受け止める。それが七郎の役割だった。
兄の声に含まれた怒りが、嫌悪が、少しずつ心に傷跡を残していく。
弟の無表情をみて、六郎の言葉は段々と勢いを失っていった。精一杯と言わんばかりの掠れた声でそれでも彼は必死で訴えてくる。何かをこちらに伝えようと、力を振り絞る。



「だいたい・・・おかしいだろ。なんで誰もおかしいと思わないんだ。
殺したんだ、お前は家族を殺したんだ、弟が兄を殺したんだ!そんなの・・・間違ってる・・・」

そこまで言い切ると六郎は体力を使い果たしたのか、口を閉じた。
荒い呼吸の音が七郎の耳にまで届いてくる。一度手ひどい裏切りを受けながらも、そこまで兄達を慕える六郎が羨ましく、眩しかった。


兄達を殺したことを後悔はしていない。・・・けれど悲しくなかったわけでもない。


六郎より上の兄達とは、大した接触があるわけでもなかった。
年齢がかけ離れていたし、彼らは彼らで役職を持ち、日々自らの役割を果たしていたからだ。
お互い情があったとは思わない。兄らしい事をしてもらった覚えも無い。
しかし、彼らは仲間だった。いわば、扇家という血に塗れた長い道程を先んじて歩く、人生の先達だった。・・・どうであれ七郎は彼らの背を見つめながら歩いてきたのだ。
切っても切れない血という名の枷、それに繋がれていることを疎ましく思いながら。
そしてそれと同時に、その絆が決して切れることは無い事に安堵しながら・・・





依頼通りに兄達を殺した。
もっと躊躇うかと思ったら、あまりにもあっさりと殺せてしまった。
風で切り刻んだ。手に感触すら残らなかった。




屋敷に帰るとたくさんの笑顔に迎えられた。



良くやった良くやられました頑張りましたね素晴らしいことですこれで扇家も安泰ですねなんと優れた能力をお持ちなのでしょう
良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった!良くやった良くやった良くやった良く・・・




「人殺し」



降ってくるのは、断罪の声。
白い光に包まれた人影は、階段の上からこちらを見下ろし、きっぱりと告げた。




「お前は間違っている」




ああ、兄さん、俺はその言葉が聞きたかったのかもしれない。
誰かに、そう言ってもらいたかった、きっと。

そうか、今の兄は教会の天使に似ているのだ。この悪徳を良しとする地獄に裁きをもたらす天よりの御遣い。

天使様。
俺は懺悔などしません。裁かれるわけにもいきません。
・・・そう決めたのです。

気が付けば六郎は泣いていたようだった。溢れた涙は零れて、流れていく。
光を反射して輝く様は至高の宝石の様だった。




七郎は慈悲深い天使の涙が床に落ちて消えるまで、なにも言わずただ見つめていた。



(おわり)

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