テキスト4

□誕生日
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「ここに氏名、住所、生年月日の記入をお願いします。」

そう黒スーツに手渡された書類を六郎は一通り眺めてみる。特に難しい書類というわけではない。重要というわけでもない。単に自分にかかる税金やら社会保険料やらを処理をするのに委任状が必要になったので一筆書け、と言われただけである。筆跡を鑑定するでもなし、誰かが代筆したところで問題はない。今まではそうやって処理をしてきたのだろうが、今回は六郎が偶然家にいたために本人に書かせようというのだろう。

税金。確かに外見は子供といえども戸籍上では成人を迎えている。その言葉の馴染みのなさに、この国で生きる上での義務を全く意識してこなかったということを思い知らされる。表の社会ではあたりまえのことなのだろうに、そのようなことは今まで他人に任せきりだった。表の社会とはもはや縁を切ったも同然だと考えていたが、自分はまだこうして繋がりを保っていたのか。一生一般人の前に立つことは叶わず、いつどのような理由で死ぬかもわからない身だ。別に払わなくても良いと思うのだが、そのあたりは名家としての体面というやつか。おかげさまで書類上での扇六郎はごくごく普通の、模範的な一般市民として認知されているのだろう。複雑な心境だった。

書類にもう一度目を通してみる。報告書、という形で書類を書いたこともあるが、どうも整然とした文を書くのは得意ではないらしい。染み付いた苦手意識により、書類に向かうのは実は結構な苦痛だ。さっさと終わらせてしまおうと万年筆を手に取る。

名前、住所までは問題がなかった。次の欄で六郎の手が止まる。生年月日。

「・・・・・・・」

今七郎は17歳だ。だから自分は24。それは間違いない。
七郎の誕生日ははっきりと覚えているおかげで自分が何年生まれかはわかる。しかし月となると自信がなかった。この季節だろう、とあたりはある程度つけることが出来るもののそこから一向に記憶が戻らない。日にちともなるとお手上げだ。

兄達といた時は誕生日を祝うこともなかった。人の姿を手放してからは年齢という概念自体が馬鹿馬鹿しく、兄も、自分も、いちいち数えはしなかった。どうせ見た目はかわらないのだから意味などありはしない。そうやって思い出されることのない記憶はゆっくりと掠れていく。むしろ六郎は積極的に忘れようとしていた。その方が楽だったからだ。鏡に映る自分と、本来の年齢なら与えられていただろう自分の外見と。年々広がるその差異に心削られずに済む。

しかしそんな中、ある日にちが来るとどうしても自分の年齢を意識してしまう。目に入った暦を見て、「そろそろだな」と思ってしまい、そんな自分に嫌悪する。六郎の毎年の恒例行事だった。自分の誕生日は月日がたつごとに曖昧になっていくのに、その日付だけは毎年毎年意識にのぼる。正統後継者たる、弟の誕生日。

弟の誕生日が思い浮かび、弟の年齢が思い浮かび、そうすれば自分の年齢が思い浮かぶ。こうなると七郎の誕生日が自分の誕生日のようなものだ。おかげで肝心の年齢を忘れることは出来なかった。いい迷惑だ。

六郎は息をついて腕を下ろす。もうここまで書いてやれば十分だろう。後は誰かにやらせればいい。そう思って書類と万年筆をテーブルに放り投げた。



「書類書いてくれた?」

しばらくして居間に書類を取りにきたのは、書類を渡してきた黒スーツではなく七郎だった。まさか書類の管理をこいつがしているのだろうか。そんな馬鹿な。

六郎は黙って書類を指差した。

無造作に置かれたそれを七郎は拾い上げる。必要箇所を確認するも、空白の箇所を見つけて大げさにため息を落とした。

「手を抜かず全部書いてよ。再提出になったら二度手間になるんだから。」

六郎はこれ以上書く意志がないことを、顔を逸らすことで示した。書こうにもわからないのだから仕方がない。情報は多分誰かが持っている。その誰かを探し出して勝手に聞け。そう言おうとしたところ、万年筆を持ち上げた七郎が、生年月日の欄にサラサラと日付を書き込み始めて六郎は仰天した。その書類を見せてもらう。そこには年月日がきっちりと書き込まれていて、六郎はこれが自分の誕生日なのかと、信じられない思いで弟の顔を見た。

「お前、なんで俺の誕生日なんか覚えてるんだよ。」

皮肉でもなんでもない純粋な疑問だった。しかし七郎は動きを止めた。問われたことが相当意外だったのだろうか。瞬きを忘れたかのように、じっとこちらの目を見つめかえす七郎の目は間違いなく怒っていた。内臓からしぼりだされたような低い声が部屋の空気を震えさせた。

「なんで覚えてないって思うの。」

疑問を疑問で返されて六郎は困惑する。なんでと言われても、自分すら覚えていないことを七郎が覚えていたことに驚いただけなのだが。単純に記憶力が良いとか、後継者の義務だとか、そんなあっさりした答えが返ってくるものだと思っていた。

書類を六郎の手から取り返した七郎は、あからさまに気分を害しているようで足取りも酷く乱暴だった。普段は猫のように静かな足音の弟が、カツカツと音を大きく立てながら扉へ向かう。開けて出る直前、彼は動きを止めた。
七郎は後ろを振り返らなかった。怒りをたたえた背中が最後にこう言う。

「覚えてるに決まってる。当たり前でしょ」

バン!

扉が勢いよく閉められた。その音は屋敷中に響き渡ったのではないかと思われるほど大きかった。
六郎は呆然と扉を見やる。なぜ七郎があそこまで腹を立てているのか理解出来なかった。思えば怒りをああもストレートに表現すること自体が珍しい。そんなに誕生日とは重要なものだっただろうか、誕生日―――

「あれ、何日だったか、また忘れたな」

先ほど書類に書かれていた自分の誕生日。怒る弟に気圧されて記憶から飛んでしまっていた。自分の記憶力の無さに呆れつつ、ため息をついてソファーの上で丸くなる。

まあいい。今度また思い出せなければ七郎に訊けばよい。あの様子なら多分、六郎の誕生日をずっと覚えておくつもりなのだろうから。






(おわり)
22.5.3

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