テキスト4

□ログ21
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影宮は、アイツは危ない奴なんだよ、と口を酸っぱくして言った。
確かに学校は壊されたし、烏森に乗り込んできて人は殺すし、氷浦だって生死の境を彷徨った。まあ危ない奴なのは間違いないんだろうなとは思う。でも言っちゃなんだけど、それならなんでカマかけに行こうなんて言い出したんだよ。影宮は普段冷静に振舞っているくせに時たま驚く程無鉄砲だ。

いざとなるとグダグダ心配し始める影宮の声を後ろに聞きながら、でも俺は実のところ心配していなかった。根拠はない。ただなんとなく、訊けば答えるだろうなと思っていた。

予想通り七郎は答えた。

はっきりと答えを言ったわけじゃないけど。頭の回る奴が良くするような、難しい言葉でごまかすのとは違う。七郎の冷酷な言葉の中には小さな意思表示が込められていて、俺にはそれで十分だった。


「じゃあ、僕はもう戻るから。人を待たせているんでね」

そっけないコンクリートの屋上。見下ろす街を背景に、七郎は肩を竦めてそういった。
人というと…あのにぎやかな女子高生のことか。二人とも美人で、スタイルが良くて、それを漫画の悪役みたいにはべらせている七郎はなんだかもう…凄かった。口が良く回るはずの影宮が絶句していたぐらいだ。夜の烏森では黒いマントを翻して人を殺しまくっていた男が、太陽の下では女を両手にヘラヘラと笑っている。タチの悪い劇を見せられてる気分だった。

ふと頭にこいつの兄のことが浮かんだ。なんか妙に小さくて、わけのわからない理由ですぐにキレる、餓鬼みたいな奴。そのくせうちの兄貴と同じように、腕を組んで偉そうっていうかおっさんくさい。七郎の兄だっていうんだから俺より年上なのは間違いないだろうけど、何歳かはわからなかった。その姿は人から遠いものだったからだ。人間だけど見た目は妖怪って初めて見た気がする。逆なら結構いたんだけどな。
興味もない力、でもそれを求めなくては居場所がないと言った兄。そして正統後継者として力に恵まれ、女を引き連れて歩く弟。
その違いがなぜかとても痛くて俺は思わず呟いていた。

「お前さ、六郎…とは全然違うのな」

瞬間、七郎はぽかんとした。何を言われたのか理解出来なかったんだろう。でも理解してくるに従って、真剣なような、冷たいような、とにかくとても腹を立てたのはわかった。

高い屋上の上は遮るものがない。姿そのままに風が強く吹き荒れている。

七郎は別に怒鳴りはしなかったけど、その声は冷たいコンクリートの壁にぶつかって響き渡り、こちらの鼓膜をビリビリと痛いほど震えさせた。

「じゃあ君は?」
「君と正守さんは同じかな」

兄貴は―――

とっさに答えを返すことが出来ない俺に、七郎の冷えた目線が注がれる。

「正守さんは選んで今の道に行ったんだろう?彼は彼、君は君。いちいち比べるものじゃない。それと同じだよ。」

それはその通りなんだろう。比べるものじゃない。
あいつが選んだ道だ。その結果何が起こったってそれはあいつが責任をとるべきなんだろう。

でももしかしたら?
そこに追いやったのが俺だったとしたら?

そう言ったんだ、扇六郎はそう言った。俺の存在が兄貴を日陰者にするんだって。
俺は兄貴が日陰者だなんて思わない。でもあいつが影で汚いことに手を染めようとしているのを知ってる。あいつが泥に塗れながら綺麗にした道を、俺はなにも知らず歩いてる。

「正統後継者」なのに。

だから俺は変わろうと思った。大切な人たちを守る為ならどんな汚いことだって出来る奴になろうって。血の臭いをさせて俺の前に立ってるくせに何も言おうとしない。弱音も吐かない。そんな兄貴の後ろ姿を見送るのはもうこりごりだった。
そう思って何度か兄貴の真似をしようとしたけど、失敗して周りの人間に心配をかけることしか出来なかった。時音にはさんざん殴られた。父さんや爺は俺のことを信じてくれて怒ったりはしない。でもその信頼が痛くもある。

七郎はどうなんだろうか。自分は関係ないと、そう今は冷たく切り捨てているけど、もし本当にそう考えているなら「逃げるわけにはいかない」なんて言うだろうか。

もしかしたら七郎も俺と似たようなことを考えたことがあるんだろうか。ただそこにいるだけで誰かを不幸にしているかもしれない。誰かの居場所を奪い取っているのかもしれない。変わらなくては。誰かに手を汚させておきながらその背中をただ眺めているぐらいなら、自分が。人を殺して殺して殺して殺した果てに守ることの出来る何かがあると、そう考えたのかもしれなかった。こいつは俺より頭が良さそうだから、きっと失敗なんかしなかったんだろうな。上手に、手を汚してみせたに違いない。

そうして七郎は「屍の頂点に立つ」。

俺はそれが正しいとは思わない。決して納得がいくものではないし、これからもそうだと思う。氷浦があのまま死にでもしていたら俺はこいつを許しはしなかっただろう。でもなんだろう、わかるような気がするんだ。あたかも心の中に同じ水流が流れていて、七郎から届いた水が俺の心に湧き上がってくるかのように。

守りたい。笑っていて欲しい。自分にはそれが出来る。
それなのに上手くいかない。差し伸ばした手はいつも振り払われた。
なにが悪いのかわからない。自分のせいか。どうすればいいって言うんだ?何が一番良い方法だった?正しいことはなんなのか?
一体いつになったら、それが理解できる―――?


俺は七郎を見た。
七郎も俺を見る。


七郎の目を見ていると突然扇六郎に言われた言葉が頭によぎった。
こいつも言われたことがあるのかもしれない。記憶の中で、六郎と摩り替わった兄貴がこちらを見下ろしながら、こう吐き捨てた。あの残酷な言葉。




『お前には、決して分かるまい』





(おわり)
22.5.3

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