テキスト4
□長い夜
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激しく体を動かした後の倦怠感に苛まれながらも寝ていたベッドから体を起こした。電気の消えた部屋は暖かく保たれていたが、冷えた汗にさすがに寒さを感じて素肌の上から羽織を着込む。
カチャ、と小さな音がした。ノックもなにもない。キィ、とわずかな音と共に、熱のこもった室内に新鮮な空気が入ってくる。無礼を咎めるべきシーンだったが、七郎は先程からいじっていた携帯から顔をあげなかった。誰かはほとんど予想がついていたからだ。
「…何か用?」
冷たく声を上げる。相手はなかなか返事を返してこなかった。何かを言おうとして、でも結局何も言えず、小さな息を吐いては吸うことを繰り返している。さすがに鬱陶しくなった七郎は携帯から目を上げた。開けられたドア。光が射し込むそこに兄の六郎が立っていた。逆光に照らされた黒い子供のシルエットが部屋に伸びている。
「お前何やってんだ。」
ようやく何か言ったかと思えば、随分くだらない問いだ。七郎は鼻で笑い飛ばした。
「言わないとわからない?」
この兄なら本当に分からない可能性もあったが。それでも仮にも成人しているのだからそのぐらいの知識はあるだろう。乱れたシーツ。汗と獣じみた体液の臭い。そして裸の弟。これで想像がつかないようなどどんな世間知らずなのか。
声音を聞く限りはさすがに理解しているらしい。欲の塊のような一郎と長く共に暮らしていたのだ、似たような光景を見る機会はあったはずだ。
「なんで…相手が男なんだよ。女じゃないのか普通。」
六郎が本家に帰ってきてから、七郎の元に出入りするのはすべて男ばかりだった。
弱弱しく言う兄に対して、その問いの可愛らしさに七郎は笑った。普通、ね。
「子供が出来たらどうするのさ。『扇家の正統の血はその一滴すら管理されなくてはならない』ってのは親父の言い分だけど。相手が男なら…まあそんな心配はいらないよね?」
「・・・・・・」
二の句がつげない様子の六郎に、七郎は言い放つ。
「あのさ、寒いから扉閉めてくれる?」
六郎は部屋の中に入って扉を閉めた。射し込んでいた光は失せ、あたりはまた闇に包まれる。相変わらず警戒心のない人だ、なぜこの部屋へ足を踏み入れるつもりになれるのか。七郎は闇に紛れてひっそりと笑った。絡み合う蛇の巣へようこそ。
暗闇の中、六郎は不安げに左右を見回していた。幼い子供が迷子になっているような光景に七郎は苦笑する。手招きすると素直に寄って来るのでまいってしまった。本当に何もわかっちゃいない人なのだ。
ある程度近づいて来たところで、七郎はぐいっと手を引っ張った。体重の軽い兄の体は簡単に引きずられ、七郎の上に覆いかぶさるように倒れこんだ。起き上がろうとする体を、腕と足で絡めとる。
「っつ、お、お前、なんのつもりだよ!」
「え、だって、興味があるからわざわざ見に来たんじゃないの?」
「違う!」
子供の高い悲鳴のような声が上がった。その追い詰められた声が妙に耳に心地良く、七郎は満足気な吐息を吐いた。
「ねえ、知ってた?」
鼻が触れそうになる程の至近距離。焦る兄の顔を下から覗き込む。
「本来はね、こういうのって兄弟の役目だったんだって。そうすれば醜聞が外に漏れずに済むってわけ。」
「な・・・!」
今聞かされたことが相当衝撃的だったのだろう。抵抗していた六郎の動きが止まる。
「実際に相性もいいらしいよ…。こういうのも血の業っていうのかな。求めているんだろうね体がさ・・・更なる力をね。」
挑発するように、ゆっくりと語った。
「信じられないって顔してるね。」
「知らない!そんな話聞いたこともない!」
「なら親父に訊いてみればいいんじゃない?教えてくれるかもよ、ははっ」
親父の時代からそうだったんだってさ。そう言うと六郎はほとんど明かりの無い暗闇の中でも、目に見えて青くなった。本当に何も知らない、気がつかない、可哀想な人だ。これだけ闇の世界に足を踏み入れて置きながら真っ白で美しい。
そんな六郎の後頭部を優しく撫でながら、笑い声を含んだ甘い声で、ねっとりと、絡みつくように囁いた。
「一度試させてあげてもいいよ…?俺も興味があるんだ、その業が与えてくれるという快楽がいかほどのものなのか」
触れていた首筋に爪を立てた。六郎は痛みに身を捩る。仰け反って露になった白い首筋に舌を這わせると「ひっ」という小さな悲鳴があがった。
「それにね、丁度いいじゃない。兄さんは俺のことが嫌いなんだろ?」
痛みに顔を歪めながらも、意味がわからなかったのか、彼は眉をひそめてこちらを見た。
「…は?」
「俺を組み敷いて、犯して、支配して、ぐちゃぐちゃにしてしまえばいいんだよ。こんな機会そうそうあるもんじゃない―――」
そう言って静かに微笑む弟を見て。ザワリ。六郎の体中にいい様のない悪寒が広がった。
「こ、この馬…っ!!!」
コンコン
突然ドアを叩く音がした。
「七郎様?いらっしゃるんですかね」
若い男の声。聞き覚えがあるのか、動揺した七郎の腕から力が抜けた隙に、六郎は逃げ出した。ドアを開けて、その前に立っていた人間を突き飛ばす勢いで飛び出していく。
ドアが唐突に開いたと思ったら、弾丸のように子供が飛び出してきた。顔を見ることは叶わなかったが、やや乱れた服装に何か一悶着あったのだろうと見当をつけた。
室内に入ると予想通り、機嫌の悪そうな扇七郎がベッドに寝そべっていた。こちらは服装が乱れるという以前に、ほとんど服を着ていなかったが。まあそれは構わない。金で雇われた情夫にいちいち問い詰める権利などありはしない。上着を脱いでいると、七郎は前髪をかき上げながら身を起こして、深いため息をついた。
「先程の方は」
「僕の兄だけど?」
「ほう、話には聞いてましたが、また随分と小さな方だ。」
彼のお相手も出来るんですかね?そう冗談めかして呟くと、七郎の冷えた目線とぶつかった。
「黙れ」
「彼は僕のものだ。」
『僕のもの』ときたか。殺意さえこもる絶対零度の瞳に、男は両手を挙げて降参した。
「…軽い冗談ですよ。ところでなぜ私を呼んだのです?もう相手がいたのでしょう?」
部屋の様子を見る限りそんなに時間はたっていないようだが。
「ああ、前の奴は街で知りあったんだけど。最近どうもマンネリでね、満足出来なくてお帰り頂いたよ。」
「おやおや」
それはそれは、どうぞお手柔らかに。そう笑いながらも男は内心ため息をつく。
(…まあ本当のところ、誰が相手でも満足できないのでしょうね、あなたは。)
頻繁に相手を取り替える扇家の正統。美しく、誇り高く、高飛車で、風のように気まぐれ。その癖寂しがり屋の彼は、最初自分が想像していた以上の淫乱だった。寝台の上で快楽を貪欲に貪る扇家正統の姿は、欲情をそそりはするが同時に恐ろしくもある。
一体何がそこまで彼を駆り立てていたのか。とうとう疑問の答えを見つけてしまったというわけか。ドアをじっと見つめている青年をみて、こっそり肩をすくめる。
(自分達は結局のところ「代用」にしか過ぎないというわけだ。泣かせる純情だねぇ)
きっと彼が本当に望むものは手からすり抜けていくのだろう、いつもいつも。
(この分だと、今日も激しいことになりそうだ。まあ、一向に構わないがね。)
飢えた青年に男はゆっくりと近づいていった。夜はまだこれからだ。
(おわり)
22.4.25