テキスト4

□『大好き』
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電気の消えた暗い部屋の中、テレビから漏れる薄青い光が室内を照らし出している。画面の上には若い女がいて、途切れることのない賑やかなトークを視聴者に向けて続けている。誰も耳を傾けない、空しいBGMを女が一通り喋り終わると、青い背景にこう表示された。

―――「次の曲を入れて下さい。」

そのまま音を発しなくなった画面をサヤカは気まずい思いで見つめていた。

「七郎、何か曲入れないの?」

隣にいる男にそう尋ねてみた。そこには見慣れても見飽きることはない、端整な横顔がある。

「んー、そうだね…」

肩と肩が触れ合いそうな、しかしギリギリで触れ合わない、そんな絶妙な位置。ぐったりとソファーに身を預けた扇七郎は、先程から本をパラパラとめくって曲を選んでいる。なかなか決められない様子ではあるが、実際のところ選んでいるフリをしているだけなのだとサヤカは気が付いていた。ページをめくる指に反して彼の目はほとんど動かない。どこか遠いところを彷徨っている。サヤカもこんな空気の中歌う気にはなれず、本来騒がしいはずのカラオケルームは静まり返っていた。全く盛り上がっていない。こんな空気になることは滅多にないことだった。一体どうしたというのだろう、普段ならこちらを退屈させないよう、絶え間なく楽しい話題を提供する男であるはずなのに。
だいたい今日は最初から様子がおかしかったのだ。妙にテンションが高くて、饒舌で、でも突然黙り込む。暗い瞳で俯いたり、腕に爪をたてていたり。話しかけるとぱっと元に戻りはするが、むしろそれは普段との差を浮き彫りにして見せただけだった。

「エリ帰ってこないね、なにやってんだろあの子。」

エリは先程、電話をしなくてはならないと言って部屋を出て行った。そこから30分近く帰って来ない。なにかにつけてマイペースな部分が目立つ娘だ、何をしていても不思議ではなかったが。

「サヤカ、歌わないの?」

場をとりなすように七郎が声を掛けてくる。ここで間を空けると彼が「あの曲が聴きたいから歌ってよ」と言って、こちらに何かを歌わせようとするのがわかっていたので、サヤカは素早く返答した。

「さすがに疲れちゃった。」

そう良いながら溶けた氷で薄くなったオレンジジュースに口をつける。早くエリに帰ってきて欲しい。そうでなくては調子が狂ってしまう。…別に幻滅するわけじゃない。ただ、彼の感じている「辛さ」から目を逸らせなくなってしまうのだ。それを見つめていたい、もっと知りたいと思うほどには、サヤカは七郎が好きだったから。



昔からサヤカに声を掛けてくる男はたくさんいた。顔につられたり、あからさまに体目当てだったり。その中から男を選んで、遊ぶだけ遊んで、つまらなくなったらサヨナラした。そんな中出会った七郎はとてもハンサムで、スタイルが良くて、会話上手で、お金持ちで…。遊び相手としては最高の条件だった。彼氏にしたらさぞ自慢になるだろう。
でもそんな条件よりもなによりも――彼は自分達を大切にしてくれた。いつも軽薄な態度で、単なる遊び相手のようにお互い振舞っているけれど、それでも分かるものは分かるのだ。あれほど男遊びが激しかったエリが、七郎と会ってからは誰の誘いにも乗らなくなったのもそういうことなのだろう。

3人で顔を合わせていればとても楽しい。食事をしたり買い物に行ったり、たまには勉強したり。どんな時でも楽しい。しかし扇七郎という存在はサヤカ一人では荷が重かった。その暗闇に呑まれそうになってしまう。そのことに七郎も気がついているのかもしれない。いつもいつも呼び出す時はエリと一緒。どちらかが都合がつかないようだと「また今度」と話はお流れになる。だから1対1になることはなかった。…あるいはそうやって、自分達のどちらも特別にはなれないと、暗に教えているのかもしれなかった。

そうやって造りあげられた透明な壁が歩みよることを許さない。辛そうだと思ってもそれに気がついた素振りすら見せられない。

「なにかあったの?」と訊けたらよいのに。訊いて、慰めてあげて、力になってあげる。「私とエリが一緒にいるから大丈夫」と胸を張って言いたいのだ。
でもそんなことは出来ない。訊けば彼は自分達の前からいなくなってしまう。彼は自分の背後にあるドス黒いものを私達に教えてはくれない。見せてもくれない。知られることを怖がっている。それでも隠していることが辛いのでしょう?辛いから完全に隠すこともしない。その黒い気配を感じながら私もエリも貴方から逃げることはない、そのちっぽけな肯定だけでも十分だと言うならそれでもいい。

でも今日は辛いから私達を呼び出した。私達に助けて欲しいのではないの。

もはやページをめくることすら忘れて、虚ろな目で青い光に照らされている七郎を、サヤカは泣きそうな思いで見ていた。

エリがいれば、エリと二人でなら、馬鹿みたいに騒いで、場を明るくして、辛いことを一時でも忘れさせることが出来る。でもサヤカ一人では無理なのだ。サヤカだけでは何も出来ない。



なんと自分は無力なのだろう。



「七郎。」



「私、七郎のこと大好きよ?」



七郎は突然のサヤカの言葉に目を見開いた。別に大した台詞ではない。エリなんて普段から「大好き」を連発する。他愛のない挨拶のようなものだ。
その使い古された言葉をサヤカはあえて選んだ。祈るような気持ちで七郎の瞳をじっと見つめる。感情豊かなように見せかけて、その実巧妙に隠された彼の本音。その一欠片ですら逃すまいとするように。

それは困惑か
驚きか
拒絶か
哀れみか

やがて彼は回答を出した。見慣れた陽気な微笑みに、軽い声。

「はは、ありがとう。二人とも好きだよね、その言葉〜。」

サヤカも笑った。いつもの明るい笑顔を浮かべて見せる。

「エリなんて物をたかる時にいっつも言うんだよねー。調子いいからあの子。」

そう言ってちらりと腕時計を見やった。

「いくらなんでもちょっと遅すぎ。私、エリの様子、見てくるね。」

サヤカは立ち上がった。泣いてはいけない。七郎に決して涙は見せられない。女の意地というやつだ。軽い足取りで背を向けドアに向けて歩き出す。

「…いってらっしゃい。」

背後から掛けられた声は、とても暖かいもので。
なんて残酷な声なんだろう。
他の女の子達は決してこんな声を掛けて貰えない。自分達はそういう意味では特別なのだ。嗚咽を漏らさないよう、歯を食いしばりながらドアを開けた。

わかってるの、わかってるのよ。七郎、わかっているの。






でもね、私寂しいわ。




(おわり)
22.4.23

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