テキスト4

□ログ20
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ちょっとその日は寒かった。それでも七郎は、暖かく保たれた部屋を飛び出して、小さな手を擦りながら廊下をパタパタと走っていた。部屋の中にいても暖かいけれど、もっともっと暖かい場所を知っている。七郎にとってはそっちの方がいい。そのためならちょっとの寒さなんて気にならないのだ。
 
やがてとある部屋の前についた七郎はドアをこんこんとノックした。いつも忘れて怒られるのだけれど、最近ようやく習慣として身についた。誰かの部屋を訪ねる時の大事な礼儀らしい。ややあって「はい」と返事があった。七郎は礼儀を守ることが出来た、ちょっと誇らしい気持ちになりながらドアを開けた。

「おかえりなさい、六郎にいさん!」

そういって部屋に飛び込む。帰ってきたばかりなのだろうか、ひんやりとした寒い部屋。学校のセーターを着たまま床に胡坐をかいていた六郎兄さんが、「あー」と声をあげてこちらを見た。なんだか面倒臭そうな顔だ。六郎兄さんは良くこんな表情をする。なにしろ六郎兄さんは、兄さん曰く「大人」で「忙しい」からだ。子どもと遊んでいる暇なんてねーよ。そう言うけれど、結局遊んでくれることはわかりきっていたので、七郎は特に気にしない。いつものように六郎兄さんの側に腰を下ろした。

「にいさん、『ただいま』って言わないと!」

そう七郎はお説教をする。間違ったことなんて言ってない、なにしろ七郎にそう言って聞かせたのは六郎兄さんなのだから。兄さんは口をへの字に曲げて七郎をみた。

「はいはい、ただいまただいま。」

七郎はすかさずこう言った。

「はい、は一回!」

結構な沈黙のあと、六郎兄さんは「・・・はい」と言った。

「よろしい!」

七郎はご満悦だ。

六郎兄さんはすごく悔しそうだった。いつも正しいことを言うのは兄さんだから、七郎に説教されたのが気にくわないのだ。こっちに背中を向けて本を読み出してしまった。あーあ。

普通の人なら遠慮するのかもしれないけれど、七郎はまだ小さいから遠慮なんかしない。六郎兄さんの背中に思いっきり飛びついた。ぐえ、と声がしたけどそんなことも気にしない。まだ大人でもないから大して広くもないけれど、それでも七郎にとっては十分大きい背中だ。セーター越しの体温がとても暖かい。

「痛えだろうが、この馬鹿が!!離れろ!」

「寒いからやだ!」

「重いんだよ、そこに居られると迷惑だ!」

「じゃあ前にいってもいい?」

そう期待を込めて言うと、六郎兄さんは大きくため息をついて、

「・・・好きにしろよ」

と言った。七郎は早速前にまわって、胡坐をかいている兄の足の間に座った。六郎兄さんは抱きかかえるように七郎の体に腕を回す、そうしないと本が読みにくいのだ。この体勢は背中がとっても暖かいし、六郎兄さんと同じものが見られるから七郎のお気に入りだった。兄さんの読んでいる本を一緒になって覗き込む。ひらがなはもう全部読めるけれど、漢字はまだ分からない。「き・・・した・・・よって・・・かれたように・・・」と声に出して読んでいたら、鼻がムズムズしてきた。くしゃん!一つくしゃみをする。頭の上から六郎兄さんの呆れたような声が降ってきた。

「寒いならこっちに来るなよな。この部屋の暖房調子悪いんだよ。」

「だってこっちのほうがあたたかいもん。」

「お前今くしゃみしただろ。」

「・・・してない。」

「バレバレの嘘つくんじゃねーよ。」

頭に軽く拳骨が落とされて、七郎は口を尖らせた。確かにくしゃみはしてしまったけれど。でもこっちの方が暖かいのは嘘じゃないのに。そう思っているとまた鼻がムズムズしてきたので七郎は焦った。帰れと言われるのが嫌だったから、なにがなんでも我慢するつもりだったけれど、結局ブシュンと妙なくしゃみが出てしまった。

「ほらやっぱり寒いんだろう。部屋に帰れよ。」

「やだ」

「・・・風邪ひいても知らないからな。」

七郎は六郎兄さんの体に背中をぴったりとくっつけた。暖房のきいた部屋に一人でいるより遥かに暖かいけれど、やっぱり寒い。七郎は寒くないのに体が勝手に寒がっているのだ。だから七郎は悪くない。けど体は七郎のものだから、やっぱり七郎が悪いのだろうか。

そうやって出来る限り体を縮こませていると、ばふっと頭の上から何かを被せられて、七郎はとっても驚いた。
一気に視界が真っ暗になる。と思うとあっという間にまた光が見えた。

「外」に出てみて七郎はようやく気が付く。セーターだ。自分は今、六郎兄さんの着ているセーターの中にもぐりこんでいる。襟から顔を出した七郎は思わず兄さんの顔を見上げた。

「これでさっきよりは寒くないだろ。」

仏頂面で六郎兄さんがそう言った。あーあ服が伸びるな。とブツブツ言っていたけど、七郎はこの状態に驚いてしまっていて全然気にもかけなかった。前も後ろも腕も暖かい。凄い。絵本でみたカンガルーの子どもみたいだ。そう言うと六郎兄さんはあんぐりと口を開けた。その様子がおかしかったので、七郎は大いに笑った。とっても意表をついたみたいだった。兄さんは渋い顔をして何か言おうとしたのだけれど、その言葉の代わりにでたのは、くしゅんというくしゃみの音で、七郎はとても心配になってしまった。自分は暖かいけれど、六郎兄さんはどうなのだろう。

「もしかして寒いの?」

というと、六郎兄さんはびっくりしたような顔で七郎の顔を見た。やがて、ぽん、と顎の下にある七郎の頭に手を置いた。ボソボソと小さな声で

「寒くねえよ。今はな。」

と言った。頭に手の平の重みを感じながら、七郎はぴん、ときた。そうか。きっと六郎兄さんも寒かったのだ。ただでさえこの部屋は寒いのに、一人でいたらもっと寒い。そういうことなのだ。二人でよかった。七郎は兄さんのおかげで暖かいけど、兄さんは七郎のおかげで暖かい。なんだかそれは素敵なことだ。

六郎兄さんは体勢を立て直して本を読み始めていた。兄さんの目線が本に行くから、自然と七郎の目線も本にいく。「ねえ、この文字なんて読むの?」「やま、だ。」「やま。」そうやって時たま口をはさみ、うっとおしがられたり怒られたり笑ったり。扇家では珍しい、賑やかな声がずっとずっと響いていた。



――――あれから何年もたって、自分の体はとても大きくなったが、あのように温もりを分け合うなんてことは誰が相手であっても出来そうにはない。
自分一人しかいない寒々しい部屋にももう慣れたし、慣れてしまえばどうということもなかった。なにしろ彼は死神であったから。
そうだ、どうということもない。
月明かりが差し込む暗い部屋の中。震えながら吐いた白い息が空気に混じって消えていく。その様子を、窓枠に腰掛けた七郎は無感動に眺めていた。






(おわり)
22.4.11

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