無現黙示録

□第壱章
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ーー1978年4月4日ーー



とある山中にそびえる竹林の中にひっそりと佇む屋敷の中で、新たな生命を示す産声が上がった。

大きい声が生まれた命の輝きの強さが伺え、その声の周りを囲む男女はお互いに微笑んでいた。

幸福に包まれている三人の後ろから、助産婦と思われる女性が現れて男女に声をかけた。



?「湊様、楓様…この度はおめでとうございます…こうして立ち会えたことを誇りに思います」

楓「そんな…私たちは貴女が居なかったら混乱していたわ、それに助産婦の資格があったなんて知らなかったわよ?」

湊「そうだよ柚さん、初めから教えてくれていたら真っ先にお願いしたんだがね」

柚「あ、いえ…恐縮です…新たなご子息様をお迎えするのは宗家の使用人としては当然ですので…」

楓「使用人とか関係ないわ…本当にありがとう、柚さん」

柚「あ……はい/// そ、それでは私は失礼します」



頬を赤く染めたまま柚は足早に部屋を後にした。その姿に二人は笑みを浮かべた後、母の腕に抱かれている男の子に視線を落とした。

先程声を上げていた男の子は疲れたのか深い寝息を立てている。湊は男の子の頭を撫でると愛おしそうに抱き上げた。




湊「ところで楓…この子の名前を考えないとね、僕はセンスが無いから頼みたいんだけど…」

楓「ふふ…いいのかしら? なら、そうね………あ」



考えている最中、吹き荒れた風が屋敷の庭にそびえ立つ桜の木から花弁を美しく舞わせた。

この地に住んで初めて見た優麗な光景に子供を抱き上げた湊がはめ込まれ、一つの絵と成っていた。

楓は風で乱れた髪を整えると思いついた用に湊に向かって呟いた。



楓「私は…この子を春って名付けたいわ」

湊「春、かい? それは生まれた季節が春だから?」

楓「それもあるわ…でも、私が一番に思ったのは桜よ」

湊「桜…と言うと、庭にある桜のことかい?」

楓「ええ、さっき見た光景が印象深くて…こちらに住んでから、あの桜があんな風に散るのなんて初めて見たもの」



嬉しそうに言うとベットに横たわっていた体を上げて、再び窓から外を眺めると未だに花弁が舞い続けていた。

湊も外を眺めて初めて見る光景に心を掴まれた。そして、口元を緩めると視線を再び楓へと移した。



湊「よし、春にしよう…今日から君の名前は春…桜賀春だ、きっと逞しく育つぞ!」


楓「私は湊さんみたいに育ってもらえれば十分よ?」

湊「そ、そんな…僕より出来が良い子になってもらいたいよ、楓みたいにさ」

楓「ふふ、心配しなくても大丈夫よ…この子は世界に愛されている…滅多に舞わない血染めの桜が祝福したんですから♪」

湊「ははっ♪ そうだね、杞憂だったよ……それで楓、話は変わるけど…」



先程までの笑顔が消え真剣な表情で湊は話を切り出した。それを分かっていたのか、楓は決意した目で口を開いた。



楓「分かっています…お爺様に会って、頭を下げてみます…春は私たちの子ですもの」

湊「…わかった、僕も考えていたことだ…それじゃあ明日に備えて寝なさい…今日は疲れただろ?」

楓「そうね、そうしようかしら…じゃあ春のことをよろしくね」

湊「ああ、それじゃあ…お休み」

楓「お休みなさい…」



楓は横になると疲れが溜まっていたのか静かに寝息を立てて眠り始めた。

それを確認した湊は静かに部屋を出ると、扉の前で待っていた柚に声をかけられた。



柚「楓様は…」

湊「寝ているよ、疲れたんだろう…二日間寝てなかったんだからね」

柚「そうですか…では明日、鬼鮫様にお会いになりますか?」


湊「ああ、きっと無駄だろうけど…可能性はあるんだからやるよ……あ、春を頼めるかい?」

柚「春? ご子息のお名前ですか?」

湊「そうだよ、楓が決めたんだ…良い名前だろ?」

柚「はい、とても…表情も愛らしいです」



湊から春を受け取り抱き上げながら、柚は嬉しそうに微笑んだ。

湊は上着を纏いスーツケースを持ち、車の鍵や財布を服にしまいながら柚に問いかけた。



湊「宗家の方で子が生まれるらしいが、聞いていたかい?」

柚「はい、早百合様が授かったそうです…しかし、お身体が弱いそうで無事に生まれる可能性は低いそうです」

湊「そうか…性別とかは分かったのかい?」

柚「現状は女の子だそうです…まだ授かって間もないため、これから身体に異変があるかもしれませんが…女の子が確実かと」

湊「そう…いや、いいんだ…春のためにと犠牲にしたくないからね……早百合様におめでとうと、それと春を頼みました」

柚「はい、湊様もお気を付けて…」



柚が頭を下げると、湊は口の端を上げて車の鍵を手に持ち玄関から出て行った。

出て行くのを見送ると柚は春を抱きかかえながら、桜が舞う庭へと歩みを進めた。
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