小 説
□傾国美女-決意-
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「そこの怪しい牛車!止まれ!」
割れ鐘のような太い声が道行く一台の牛車を制止した。
「おい、この簾を上げろ」
手綱を持った下男はその迫力にビクビクしながら口をまごつかせた。
「や、しかし…」
「かまいません」
中から銀鈴を鳴らしたような声がし、その主自ら簾を上げる。
「…!」
瞬間、男の目が中の主に釘付けになる。唾がごくりと音を立てて喉の奥を落ちていった。
「何かご用でしょうか?」
その一言に我に帰った男は取り繕うように口を開いた。
「む…いや、す、すまない。謀反人がこの辺りに逃げ隠れたのだがそれと間違えたようだ」
言いながらもその目は主を捉えたまま離さない。いや、離せなかった。
2人の間に流れるほんの少しの沈黙が驚く程に長く感じられた。それは男だけでなく、また車中の主にとっても。
「呂布将軍!謀反人を捉えました!」
少し離れた所からした男を呼ぶ諸兵の声が静寂を断ち切った。
「もう行っていい。邪魔して悪かったな」
下男は慌てて牛車を進ませた。
呂布はその場で戟を振り下ろし、謀反人の首を斬り落とした。
悲痛な断末魔が界隈に響き渡る。
「あれがお義父様の言っていた呂布という男…恐ろしい」
独り言のようにつぶやいた言葉は、兵達の雑踏にかき消された。