初恋

□just a little
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人の賑わいをかき消すかのような豪雨。
ひんやりとした空気が頬を掠めては消え、それを何度も繰り返す。



図書館からマンションに濡れずに帰るにはどうすればいいのか…



そんなことを考えながらどこから降ってくるのか分からない雨を見つめる。

今日やっと、お目当ての本を見つけることが出来たのにこんなところで濡らすわけにいかない。


だけど雨は強さをさらに増し、止む気配を一向に見せない。



仕方がない濡れて帰るか



本は濡らさないように他の物の間にいれ、鞄だけでもできるだけ濡らさないように抱きかかえるように持ち変え、
覚悟を決めて図書館から出ようとしたとき、俺の向かう方のドアが勝手に開いた。

ん?と思って顔を上げると、


高野さんが図書館に入ってきた。



「げっ」



咄嗟に出てしまった俺のこの一言にこちらに気づいた高野さんは眉の間に皺を刻む。



不可抗力とはいえ、上司に向かって先の言葉は失礼だと思い、一礼して図書館の玄関に走って行こうとしたら、
腕を掴まれた。

一瞬、何されるか分からず、条件反射で身を縮こまらせたが、次に降ってきたのは高野さんの言葉だった。


「お前、傘は」

「へ…?」

「持ってきてないのか、持ってきてるのか、傘」

「持ってきてないですけど…」



持っていないことを馬鹿にされるのだろうか、とおずおずと様子を窺ってみると
そんなことを考えてしまっている自分が恥ずかしくなるような返答。



「この雨じゃ確実に濡れるだろ。これ、使えよ」

「は…?」

「だから、傘貸してやるってんだろ」



差しだされたのは、高野さんが先ほどまで使っていたであろう傘。
外で十分に雨水を落としたのか、水滴はそんなについていなかった。


こんな雨の日に人さまの傘を借りるという行為自体がどうにも相手に迷惑がかかるだろうと思い、折角の申し出だが断った。


断ったのだが…自分でももう少し言葉を選んで断われよと言いたくなるくらいで。
少し呆れる。


「別にすぐそこですからいいです」

「…この雨で濡れずに済むと思ってるのかよ。バカだろ」

「っな…!」


雨は館内に響くほどの音を立てている。
傘を持たずに出れば数秒でずぶ濡れになるだろうほどだ。
すぐそこだからといって、ほんの少し濡れた程度で済むはずがない。


分かっていたのだが、自分の言ったことがあまりにも無謀かつ馬鹿げている事だと改めて思い知らされ、
ばつが悪くて元々そんなに向けていなかったが、さらに高野さんの様子が窺えないような位置に視線を外す。


「濡れて風邪でもひいて仕事に支障がでるのは勘弁しろよ」

「し…仕事に支障に出るようなことはしません。でもこれは別です!」

「お前ってほんと馬鹿だな」

「分かってます、放っておいて下さい!」



バッと腕を思い切り振り、掴まれていた手を解く。


本当に人の親切を踏みにじって、いい加減そういう部分だけでも素直になれないのだろうか。
どうしてこうも性格が歪んでいるのか…っていうのはだいたいはこの人の所為なのだが。


溜息をつくと ああ、そうだ。と何かを思い出したかのように口を開く。



「じゃあこれはあれだ。昔の貸し。やるっつってんだから、有難く受け取れ」

「へ…昔の?というか本当にいいですって!高野さん濡れるの嫌なんですよ!」

「いいよ俺折りたたみ傘も持ってるし…てか何?心配してくれてんの」

「え、あ…や、違います!別に俺は…」


不意に出てしまった言葉に動揺が隠せない。
その場であ、そ、え、と何度も言葉にならない文字だけが口から紡ぎだされていく。

なんて言って訂正すればいいんだろうか?!と頭は混乱するばかりだったが、高野さんの言葉で我に返る。


「じゃあ何?濡れて風邪ひいて俺に看病されたいの?それなら別に…」

「有難くお借りします!!!!!」

「ハイハイ。じゃあまた明日」


俺がそう言って傘を受け取ると高野さんは早々に踵を返し、背を向けてひらひらと手を振りながら図書館に入って行った。



結局高野さんに言いくるめられたような気分がして少し不快だった。

傘を貸して貰ったのはありがたいのだけれど、何かもやもやがとれない。


このもやもやは何なのか考えながら歩いていたが、その足は次第に速度があがり、
いつの間にか走っていた。




たまに、


自分の気持ちに腹立たしく思う時がある。


あの人に対して抱く感情は認めたくないのだけれど、


だけど俺は一人の社会人としてなすべき事ができていなかった。


至極当たり前なことが。


あの人に振り回されてそれができなかったことが何よりも悔しい、情けない。







自宅に着くとすぐ、自分の鞄を玄関に置き、
借りた傘をタオルで即座に拭き、自分の傘と借りた傘を持って、すぐに出て行った。








傘をもって再び図書館へと戻ると、図書館から出てくる高野さんが見えた。
そこまで走っていくと、不思議そうな顔をして俺を見てきた。

それはそうだろう。傘を貸して帰ったはずの人間が此処に居るのだから。


でもそんなのどうだっていい。俺には今、果たすべきことがある。
走って乱れた呼吸を整えるために大きく息を一度吸う。


雨はまだ強さを変えずに降り続けている。


周りの雑踏も聞こえない。傘で顔は見えない。
だけどなんだか、自分の心臓の音が聞こえてしまうんじゃないのかとか、
自分が今どんな顔になってるのか分かってしまうんじゃないかとか、考えてしまう。

たった一言云うだけなのに、こんなに緊張してしまうのなら、
俺はこの性格のままでいたいと思うが、それだけでは駄目だと知っている。



頭の中で繰り返す言葉を口から紡ぐ。


「あの…傘、ありがとうございました」


…たったこれだけのことだったのだけれど、俺はどうしても言わなければならなかった。
一社会人なんだから。できて当然、して当たり前。
この人に振り回されていつもできていることが疎かになってしまうのは嫌だった。

でも、やっぱり改めて高野さんにこうして御礼を言うのは気恥ずかしいというか慣れない。
これが仕事上で、なら全然構わないのだが…
まるっきりのプライベートだから。


用事が終わって俺が踵を返して元来た道を帰ろうとしたとき、


「 律 」


呼びとめられた。

雨で周りの音なんてほとんど聞こえていないのに、
高野さんの声だけはしっかりと耳に入ってきて吃驚して、足を滑らせその場でこけた。


「馬鹿かお前は」
と言いながら傘を差して高野さんが寄ってくる。


「俺が傘貸した意味あるのかよ…」

「読みたい本は無事なんで別に大丈夫ですよ」

「馬鹿か、一番守りたかったもんが濡れてちゃ意味ねえだろうがよ」

「は?」



しゃがんで差していた大きな黒い傘を目深にかぶせると、俺の唇にちゅっと触れてきた。


「んな、ななな…!」

「小野寺、俺の部屋に来い。というかどうせ来ないと駄目だろうし」

「はぁ?!なななにをおっしゃっいますか!」

「だってお前、鍵は。ちゃんともってきてんの?」

「持ってきて……あ」

「ちなみにうちはオートロック」

「あ」

「はい決定」

「え、ちょっと高野さん…!やです!行きません!」

「風邪ひいて仕事疎かにすんのかオイ」

「そうじゃないですけど…!だって…だって、高野さん変なことするじゃないですか!」

「変なこと?お前何勘違いしてんの?風呂貸してやるってんだよ」

「は」


身体はこけた所為でずぶ濡れなのだが、身体の奥からふつふつと熱が沸き上がってくるのが分かる。
ああこれは、完璧に墓穴を掘った。

もうこの後の言葉も聞くのが嫌だ。
耳を塞ぎたい、耳を早く。


「フーン小野寺はそっちをご所望なわけ。別にやってやらんことも…」

「結構です!!!!」





人間、慣れないことをするとやっぱり変なことが起きてしまうんですね神サマ。





でもほんの少しだけど、素直になれた自分を褒めたいと思う。
ほんの一瞬だけだけど。


少しずつでも少しだけでも、


蓋を開けていこうと思う。



20110706











→オマケ(※会話文のみです)


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