キリリク
□sakuraドロップス
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あるところに藍色の毛に綺麗な紅と蒼のオッドアイの猫がいました。
名前をムクロというその猫は、普通の猫とはだいぶ違います。
何故ならムクロは今までに何度も何度も生まれ変わっているからです。
生きては死に、死んではまた生まれ、そしてこれがちょうど100万回目の命。
「……今回はマシな生き方ができそうですね」
産まれ落ちた時、ムクロはやっと見える様になった目を輝かせてそう呟きました。
そう、ムクロは初めて野良猫として生まれてきたのです。
今までのムクロはずっと誰かの飼い猫でした。
ある時は王様の、ある時は少女の、ある時は老婆の、そしてある時は軍人の……。
数えきれない人間と出会い、数えきれないほど愛され、数えきれないほどの多くの涙がムクロが死ぬ時には流れました。
けれど、当のムクロは一度も涙を流したことがありません。
(……だって死んでもまた生まれるだけ)
何度も生きてきたムクロは生きることに執着がありませんでした。
死ぬことだって怖くありませんでした。
どれだけ愛されても、周りの人間や猫は、ムクロにとって景色と同じでした。
ただ、自分の目の前を通り過ぎるだけ。
だからムクロは、今まで一度も誰かを愛したこともありません。
生れ落ちた場所で、流れるまま生きて、流れのまま死ぬだけ。
それでもムクロは平気でした。
けれど実は、100万回目にしてやっと念願の自由を手にしたムクロは、今回は、今までとはちょっと違うかもしれないと、そう心のどこかで思っていました。
「クフフ。僕にはやはり一人の方がむいていますね」
気が向いたら人間にすり寄って食べ物を貰い、気が向いたらケンカをし、気が向いた場所で日向ぼっこをする。
自由気ままな暮らしに満足していたムクロは、ある日お気に入りの場所で日向ぼっこをしている時に一匹の猫と出会います。
「あ、あの……」
大きな茶色の目をした小柄な茶トラのオス猫でした。
一見すると子猫と見間違えそうなほど華奢な身体に幼い声。
綺麗に手入れされた毛。
動くたびにチリチリと音を鳴らす首につけられたリボン。
どこかの飼い猫らしいこの猫はまだ世間の厳しさを知らなさそうでした。
「あの…、俺とトモダチになってくれない?」
「嫌です」
大きなまあるい目を輝かせてそう話しかけてきた猫に、ムクロは即答しました。
「…っ」
途端に耳をたらし項垂れたその猫をムクロは冷ややかな目で見つめます。
けれどこの、一見頼りなさそうに見える気弱な猫との出会いが、ムクロを変えました。
「あ、ムクロ!」
「また君ですか…」
あの日以来毎回あの猫がそこにいます。
ムクロは気まぐれにしかそこに現れないのに、行くと必ずいるのです。
「…君もしかして毎日ここで僕のこと待ってるんですか?」
「う、うん。だってムクロ、いつくるかわからないから」
「そうですか。でも僕は一人で居る方が好きなんです。邪魔しないでください」
何度追い払っても茶トラの猫は諦めません。
「邪魔しない。邪魔しないからっ!」
どんなに冷たくあしらっても諦めようとしないその猫に、ムクロは呆れたように尋ねます。
「どうしてそんなに僕に執着するんですか」
「…えと。気になるから…じゃ、ダメ?」
「オッドアイがそんなに珍しいですか?」
「珍しいっていうか、すごく綺麗だと思う。ムクロに、よく似合ってるよ」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに告げるその姿にムクロは呆気にとられて言葉を失います。
「……君、名前は?」
「…つ、つなよし」
「つなよし…。クフフ、名前だけは強そうですね」
いつもおどおどとしている目の前の猫には似合わない名前にムクロはクスクス笑います。
「な、名前だけじゃないよ!ムクロのことだって、ちゃんと守れるんだから」
「クフフ、それは頼もしいですね」
まだ顔が真っ赤なままなのに、必死になって自分を大きく見せようとするその姿に、自分の一挙一動にころころと表情を変えるツナヨシに
(…まあ邪魔さえされなければいいか)
ムクロはいつのまにか心を許していました。
ツナヨシはムクロのために美味しい食べ物を運んできてくれます。
時には塀から落ちたり、犬に追いかけられたりして、ムクロを笑わせたりもしました。
「クフフ、君はおっちょこちょいですねえ。やはり名前負けしてますよ」
「……っう」
「でも、君といると飽きなくていいですね」
「ほっホント!?」
そうして気が付けば、ムクロとツナヨシは自然といつも一緒に居るようになりました。
一緒に桜のシャワーを浴び、
セミの鳴き声に辟易しながら陽を避けて軒下で涼み、
緑色だったはずの葉っぱが赤や黄色に染まる季節を過ぎた頃には、ムクロの隣にツナヨシがいることが当たり前になっていて。
冬の訪れを身体で感じる頃には、2匹寄り添いあって仲良く日向ぼっこをするようになりました。
そして。
季節が一巡りし、2匹が出会った桜の季節がまた訪れた時。
ムクロの中に新たな命が宿りました。
ムクロはつなよしの子を宿したのです。
「ムクロ、ムクロ。寒くない?辛くない?」
それをきっかけにツナヨシは家を出ました。
朝も昼も夜も、ずっとムクロに付き添っているためにです。
「平気です。大丈夫ですから」
「そう?でもお腹だいぶおっきくなったし」
「僕のことより君こそ家に戻りなさい」
「ヤダ。ムクロと、お腹の子供は俺が守る」
真っすぐな瞳でそう告げるツナヨシに、ムクロは何も言えなくなります。
初めて知る愛情。
それは100万回の間に凍ってしまったムクロの心を溶かすには十分で。
ムクロは初めて自分の中に芽生えた『愛しい』と思う気持ちを惜しみなくツナヨシと、自分に寄り添う可愛い子供たちに注ぎました。
それは今までの100万回分の愛を詰め込んだような愛しさで。
それは今までの100万回分の幸せと喜びをまとめてムクロに与えました。
やがて穏やかな時が流れ。
桜が舞い、木の葉が舞い、雪が舞ってまた桜が舞い。
繰り返す季節の中で子供たちは巣だっていきました。
またムクロとツナヨシは2匹になりました。
緩やかに流れる月日の中で2匹は仲良く寄り添って、ゴロゴロと幸せそうに喉を鳴らして毎日を過ごしました。
何度も巡る季節を眺めて、何度も2匹で桜をみました。
それはとてもシアワセなこと。
だけど、ムクロは知っていました。
一緒にいる時間が長くなればなるほど、終わりの時も近くなることを。
それは音もなく、静かにムクロとツナヨシに近付きます。
そう、2匹はすっかり年老いてしまったのです。
「ねえ、ムクロ。次の桜の季節には、また一緒に公園に行こうね」
木枯らしに吹かれながら身を寄せあって暖を取っていた時、ツナヨシが不意にそう呟きます。
「はい。早く桜、咲くといいですね」
ムクロは優しく答えます。
ツナヨシの頬を舐めれば、嬉しそうにごろごろと喉を鳴らしながら目を細めて自分を見つめてくれるツナヨシにホッとして。
(……桜の季節まで後少し)
日々衰えてゆくツナヨシと少しづつしか変わらない季節。
ムクロはこの時ほど時間の流れを長く感じたことはありませんでした。
毎日毎日隣で丸まるツナヨシの為に、ムクロは栄養のあるものをと昼間は餌をもらいに走り回り、そして夜はそっとツナヨシに寄り添って空に輝く月に祈りました。
(どうか早く春になりますように…)
(どうか早く桜が咲きますように…)
そうしてやっと長い冬が終わり、ムクロとツナヨシが出逢った季節がまた巡ってきました。
待ち焦がれた桜の降る季節です。
2匹は約束した通り仲良く寄り添って、いつもの公園で桜のシャワーを浴びます。
「ツナヨシ。桜きれいですね」
「うん。ありがとムクロ…」
ムクロの隣で嬉しそうに答えるツナヨシ。
だけど、ツナヨシはもう目をあけて桜を見ることはありません。
「ツナヨシ。来年は隣町の公園まで行きましょう。」
「うん。そうだねムクロ…」
「約束ですよ?」
「…うん」
「破ったら許しませんからね」
「……うん」
とても寝むそうなツナヨシに、ムクロは静かに、でも一生懸命語りかけます。
近づくその最期を邪魔するように。
少しでも長くここに留まれるように。
普段はあまり話さないのに、一生懸命。
優しく、ゆっくり、囁くように、強請るように、縋るように。
一生懸命とりとめのないことを話します。
次第に隣から聞こえる声がだんだん小さくなっても。
ずっと。
ずっと。
「……ツナヨシ」
そしてとうとうツナヨシが動かなくなりました。
ペロペロと顔を舐めても、あの茶色の大きな瞳にムクロを映してくれません。
「……ツナヨシ」
何度名前を呼んでも、もうあの柔らかい声で自分の名を呼び返してはくれません。
「……ツナヨシっ」
その時ムクロは、初めて愛する者を失う悲しみを知りました。
「桜を見に行く約束、破ったら許さないって言ったじゃないですか」
その時ムクロは、初めて涙を流しました。
「ツナヨシ、起きてください。」
大きな声で何度も名前を呼んで
「お願いです」
大粒の雫をぼろぼろと両の瞳から止め処なく零し
「一人にしないで」
それは100万回分の涙。
それは100万回分の悲しみ。
「君がいなくて、僕どうすればいいんですかっ………」
冷えたツナヨシの頬を舐め続けて
いつしか彼を呼ぶ声も枯れ
いつしか彼のための涙も枯れ
疲れきって自分が動かなくなるその時まで、ムクロはツナヨシの隣にいました。
そしてムクロは、自分の命の灯が消える寸前に、初めて願いました。
夜空に輝く月を見つめて。
(また生まれ変わるのならば、どうかまた……)
『ツナヨシと…』
それは100万回分の願いが籠められた、
ムクロの最期の言葉でした。
月明かりの下、寄り添う2匹の上に桜の花弁がいつまでもいつまでも降り注ぎました。
いつしか、2匹の姿が見えなくなってしまうまで、ずっと…
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