壱之庭
□楽涙
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「やっぱり行くの?」
旅装した北斗の姿を、邵可は目を細め眺めた。
密やかに旅立とうとした北斗に気付き、せめて最後まで見送ろうと追い掛けた。
だがやはり、黙って見送る事が出来ない。
「ああ」
「此処に残るのは君にとってそんなに嫌な事?」
何度か繰り返した問いを再び口にして、邵可は自分の未練がましさを自嘲した。
「……俺にはこういう暮らし向いてねぇよ、魁。お前と一緒にいたこの数年いっぱい楽しかったけど『風の狼』が必要無いなら、俺の居場所はここにはねぇもん」
「……珠翠が寂しがるね」
ずるいと思いながらも、邵可は幼い少女の名前を出した。
北斗を引き留める事が出来るとしたら、それは心残りになるだろう少女の事だけ。
「まさか俺が連れてく訳にゃいかねぇだろ? 女の子だぞ?」
呆れたように呟き、北斗は笑った。
「お前や薔君の傍の方が珠翠の為になる……それに、後宮にやるんだろ?」
「あぁ。あのくそ爺ぃを後見に、女官見習いとしてね」
忌々しげに眉を寄せて、邵可は吐き出す。
縹家から離れ完全に洗脳が解けてみれば、珠翠に異能がある事が判った。
『千里眼』
千里を超える眼を持った珠翠の力に気付けば、縹家は取り戻そうと躍起になる事だろう。
縹家の力が及ばない貴陽の中で更に安全な場所……縹家の手の及ばない場所、それが後宮。
そう勧められ、邵可も薔薇姫も無視する事が出来なかった。
そして、珠翠を後宮へ……それが北斗を旅立たせるきっかけになったのだろう。
「大体俺じゃ縹の婆ぁから珠翠を守れやしないぜ? 宮城ならお前もいる。珠翠は後宮に行くのが一番安全だ。それに後宮勤めすりゃ年頃になればいいとこ嫁に行けんだろ? それが一番いいって」
そう言って北斗は、邵可の背を思い切り叩く。
「大体、別にこれきり会えないって訳じゃないだろっ?」
「……そうだね」
そう答えて邵可は薄く笑みを浮かべた。その、らしくない表情に北斗も少し表情を曇らせる。
「なぁ、魁斗……」
「なに?」
「結構楽しかったよなぁー」
「……うん」
互いに背を預けて闘うのは嫌いじゃなかった。
むしろ一番安心出来たのは、相手に背を預けて闘っていた時かも知れない。
「薔君と珠翠が増えて、四人であちこち行って……」
邵可が縹家から薔薇姫を拐った後、縹家の力は見る間に落ちた。
だが、全ての力を削ぎ落とした訳でもなく、薔薇姫への追っ手も執拗だった。
その縹家の力を辛抱強く削ぎ落としながら、邵可はゆっくりと、少しづつ組織を解体していった……兇手の必要が無くなる、その日に向けて。
最後まで残ったのは、邵可と北斗、二人だけ。
そして、自分ももう必要ないのだ。
闘いから離れて邵可のように、愛する者達と穏やかに毎日を過ごすなんて真似は出来やしない……闘いのない場所での生き方なんて誰も教えてくれなかったから。
「……薔君と珠翠によろしくな。あと、お前も薔君も秀麗の扱いにはくれぐれも気をつけろよ……あんなちっこいんだからな、簡単に潰れるぞ?」
「……この僕が君からそんな忠告を受ける日が来るなんて……」
その呟きに北斗は納得出来ないと口唇を尖らせた。
「赤ん坊の扱いなら、もう俺のが上手いぜ? お前も薔君も妙なとこ抜けてっからなー、そこだけは心残り」
北斗は荷物を担ぎ直す。
「じゃあ行くわ。どっかに落ち着く事があったら沙汰するよ」
最後にそう言って、北斗は邵可に背を向けた。
「北斗兄っ!」