壱之庭

□斎相
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「なんだか懐かしいです、姫様」

 何故かしら弾んだ響きの呟きが羽羽の口唇から零れる。

「……何がじゃ?」

 黄泉路を下っておるというのに、羽羽のこの呑気さはなんじゃ?

 そう瑠花は呆れる。

 少し耳を澄ませば遠く、リオウの慟哭が聞こえる……決して癒える事のない傷を遺してしまったとゆうに。

 だが憂いを遺さずにいられないのは己の方であろうに、羽羽は一度だって振り返りはしない。

 どれほどに心揺さぶられようと、こうと決めたら頑固なところは昔から変わっていないのだ。

 もう忘れてしまっていた筈の過去の面影が少しずつ、少しずつ鮮明な輪郭を取り戻し始める。

「一度だけ。姫様とこうして手を繋いで歩きました……」


 懐かしむかのようなその言葉に、瑠花も遠い遠い日を思い出す。

 七つと、五つと。

 何も知らないでいられる歳と、知らずにはいられぬ歳の境目にあったあの頃。

 誰かの手を取ることはあっても、誰かに手を取られて歩くことなぞなかった幼き日。

 ただ一度だけを除いて。

『帰りましょう、姫様……』

 そう言って手を引いた自分より小さな幼子。

「──あの頃からそなたはのほほんとした男子であったな……先ほど見たもこもこした姿は似合いであったわ」

 思い出した瑠花が呟き、薄く笑んだ。

「あれは……」

 恥ずかしくなって羽羽は俯く。

 術を使えば使うほどその身が削られた。

 けれど、命が削られるよりは良いと……少しでも生き長らえられるならば良いと思っていたものの、やはり年老いてすっかり小さくなってしまった姿を瑠花には見られたくはなかった。


 そんな言葉を失った羽羽の想いを、瑠花は汲み取る。

「……まぁそなただけではない。わたくしも老いて、しわくちゃのばぁになったがの。かつての面影なぞ、そなたにも探せはしまいほどに、の」

 ずっと離魂したまま、ただ、器としてだけ存在し続けた己の身体。

 真実、丸々全部自分自身の……首の落とされた枯れ枝のような哀れな身体は、珠翠が葬ってくれようが。

「どんな姿になられても美しいのです……わたくしの姫様は」

 そう言って羽羽は目を細める。

 鮮烈に映るのは誇り高き瑠花のまばゆいばかりの美しい姿……それは姿形の事ばかりではなく、瑠花の存在そのものが。

 年老いようとも、瑠花の魂そのものの美しさは変わることがなかったのだ。

「……そなたのあれも、もこもこしてなかなかかわゆいものじゃったわ。時間があれば、抱き上げてみたかったのう」

 残念そうに瑠花が呟き、羽羽はほっとしたように微笑んだ。


 やがて、繋がれた手に力が込められた。

 更に先へ進めば、互いに姿を形取らないただの魂魄となり光へ溶ける。

 立ち止まった羽羽は取った手を再び押し戴き……少し躊躇ったのち、そっと口唇で触れた。

「……黄昏のその先でお会いしましょう──わたくしの姫様」

「うむ。迎えに参れ……必ずな」





  手を取り合ったまま、二人は一歩を踏み出した。

  長い長い時の中。廻る廻る輪廻の輪。

  永き永き道の、新しい一歩を。





─ 終 ─

 

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