壱之庭
□互想
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「全く。貴方と言う人だけは……黙って琵琶だけ弾いてりゃ人畜無害どころか、案外有益なのに」
久方振りの長い押し問答にほとほと疲れ果て、楊修はうっかりと口を滑らす。
「琵琶だと?」
黎深の眉が怪訝そうに寄せられた。
そして思い当たったようにふっと笑みが浮かぶ。
「ああ……そう言えばあの夜、いたのだな」
黎深の琵琶を聴いたあの夜──死んでもこの上司を褒める様な真似はしないと決めていたのに。
楊修は心の中で舌打ちをする。
「貴方は琵琶だけ弾いてりゃ万人に愛されますよ……黙って弾いてりゃね。口を開けば最後、万人にどころか国中から嫌われますけど。好かれたとしたら余程の粋狂か物好きですね」
「ふんっ」
きっぱり言い切る楊修に黎深はそれがどうしたと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「……たまには絳攸の為にも弾いてやったらどうです? 貴方は滅多に弾かないと寂しそうでしたよ……それくらいの事してあげても罰は当たらないどころか、それくらいしてあげないと罰が当たりますよ、そのうち」
「……あれが私の琵琶を聴きたがる事なんぞないわ」
「可哀想に。そりゃ遠慮ってもんですよ」
楊 修が呆れたように呟く。
「あの子は本当に素直で良い子だけど、甘える事だけは素直に出来ない……殊、貴方に対しては」
判っているでしょ?
楊修の瞳の問い掛けに黎深は無言で楊修を見つめた。
「──随分とあれに入れ込んだものだな」
長い沈黙の後、黎深はぽつりと呟いた。
「そりゃ絳攸は可愛いし、優秀だし、気に入っていますからね」
ふふふ、と楊修が笑う。だが直ぐに笑みを消す。
「……私はあれを官吏にしますよ」
真剣な眼差しを黎深に向ける。
黎深も目を逸らさず、楊修を見つめ返す。
「貴方のお守りにしておくには勿体無い」
黎深はそれ以上の言葉を遮るように扇で手の平を打つ。
「……好きにしろ。したければ勝手にすればいいし、なりたければ勝手になればいい──私の知ったことか」
黎深らしい答えに楊修は再び頬を弛める。
一度前を向けば決して振り返る事はしない。
高見を目指して一歩一歩を踏み出して行く事だろう。
──今の彼には、まだ無理だとしても。