捧 呈

□艶謳
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 英姫は一人、孤月に照らされる庭園に佇んだ。

 平凡で変哲のない慎ましやかな風景…この場所を愛した人と共に眺めたのも、今や遠い過去。

 何時か穏やかな時の流れの中、愛する人と共にこの庭院を駆ける幼子の姿を眺める未来を想い描いた事もある。

 だが遂に最期まで、愛した男はただの男には戻らなかった。

 無論、そんな男を愛した事を、一度も後悔した事などないが。

 英姫はそっと己の手を握り締める。

 握り締められた手の中には何もなく、掴むべきものも最早ない。

 この手に残された役目は、若い者達の背を押してやる事だけ。

 己に残された役目と、時間と。

「なんじゃ、まだおったのか」

 じゃりと小石を踏む音に振り返る事無く、英姫は吐息混じりに呟いた。

「……泣いているのかと思った」

 霄は小さく呟き、少し距離をおいて立つ。

「泣いたりせぬ──幾ら嘆いたところで尽きぬものに、何時までも囚われていても仕方あるまい」

 細い肩を揺らす事無く言い放つ英姫に霄は苦笑する。

「強いな、お前は」

 愛する男を失って、怒り乱れたのはほんの一時。

 
 今はまた穏やかな湖面のように悠然とし、凛とした姿勢を崩さぬ英姫に霄は感嘆を覚える。

「そなたが女々しすぎるのじゃ」

 ふんと鼻を鳴らし、英姫は初めて霄を振り返る。

「人とは必ず死ぬるもの。この嘆きは何時かわたくしも誰ぞに与える……が、その時に何時までもめそめそされては、おちおちと死んでもいられまい」

 これは人の世の理なのだと英姫は説く。

「大体幾ら嘆き喚こうが、幾年月を経ようが、わたくしの命尽きるまでこの嘆きが消える日は来まいよ」

 表に現れる嘆きだけが深いものではない。

 面に流れ出ぬ涙は頬を濡らさぬ代わりに人知れず悲しみの湖を生むのだろう。

「ならば悪戯に嘆き続けるより、顔を上げ、先を見つめる事が余程大事ではないか? のぅ、霄よ」

 射抜くような英姫の眼差しが、霄を捉える。

「ああ、そうかも知れぬ、な」

 英姫の激しさに再び目見え、眩しげに眼を細めた霄は小さく頷いた。

「本当に激しい女だな、お前は」

 霄はかつて、愛する男の為に戦場に駆けた少女の面影をそこに見出す。

「まこと、お前こそ鴛洵に相応しい女であったよ」
 

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