壱之庭
□疵名
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「良かったのか?」
青年が茶州の小さな寒村に赴く日、鴛洵は少年に尋ねた。
少年から兄を託された鴛洵は、密かに迎えに赴き、そのまま己の元で庇護し幾月ばかりか過ぎた。
穏やかな気質の青年は静かに刻を過ごし、弱っていた身体も少しずつ快復していった。
その傍らにはかつて少年と共にいた灰色狼がまるで守るように寄り添う。
時にその背に青年を乗せて邸を歩き、家令を驚かせる事もあったが、青年と同じく穏やかな狼に、周りは直ぐに慣れた。
そして何時までも世話になる訳にはいかぬ‥と申し出た青年に、鴛洵は当面住む場所と仕事を与えた。
その間、青年は一度も弟の事を口にしなかった。
少年も、一度も兄の事を尋ねはしなかった。
いいんだ…と、小さく呟き、少年は似合わない翳を帯びた笑顔を浮かべる。
「もう一生会わないって約束だから」
揺らぐ事無い決意。
兄も弟も、一度たりとも揺らぐ事なく淡々と刻を過ごす。
「……会いたいのだろう?」
そう問いかけた鴛洵に、少年は薄い笑みを浮かべた。
「智多星のせいで死んだ人は、もう会いたい人に会えないんだ」
遠くを見つめたまま、少年は呟く。
「智多星に大切な人を殺された人は、どんなに会いたいと願ったって会えないんだよ」
少年が語る事実に、鴛洵は何ら言葉を挟めない。
「智多星は罰を受けなきゃいけない。罰を受けなきゃ生きていられない──その罰が死ぬより辛い事じゃなきゃ、生きていちゃいけないんだよ」
「だが……お前には罪はない」
かろうじて絞り出した言葉は陳腐で、鴛洵は己の語彙の少なさを呪う。
「あるよ」
そして返ってきたのは何時かのように、簡潔な即答。
「俺が先に死んでいれば、智多星は生まれなかった。智多星が生まれなければ死なずに済んだ人達がいたんだよ」
生き残った事が、兄を苦しめ、多くの人を死においやった。
「だから、罰は二人で受ける」
きっぱりと答えた少年は、でもね、と笑って顔を上げた。
「それでも、何時か……」
晴れ渡る昊に、夢を見るような瞳が向けられる。
「……何時か偶然ばったり道角かどっかで会っちゃったら『よっ、元気?』って声をかけるくらいは許されるかなぁ?」
そんな夢を見る事は許される?
死んだ人はもう夢を見る事も出来ないけれど──決して会ったりしないから、せめて叶わない夢を見る事を許して欲しい。
少年の悲痛な問い掛けに、鴛洵は答える事が出来なかった。