壱之庭

□堕楽
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「…まだ鼻水垂れてるぞ」

「うるさいわねっ 今拭くとこよっ」

 十三姫は涙を拭っていた布ですんっ!と音を鳴らして鼻をかむ。

 その様子に迅が声を立てて笑う。

「年頃の娘が音鳴らして鼻かむもんじゃないぞ?」

 くくくっと身体を折るように笑う姿は十三姫の知る、何時もの迅だった。

 変わらない。

 何も変わっていない。

 変わったのは、互いを取り巻くもの…。

「もう一度聞くわよ」

 呼吸を整え、十三姫は迅を見つめる。

「で、何しに来た訳?」

「お前を拐いに」

 今度は躊躇う事なく口にする。

 その言葉に十三姫は言葉を詰まらせた。

「…あれから何年経ったと思ってるわけ? 三年よ、三年」

「そうだな…お前が十六になるのを待ってたからな」

 その言葉に十三姫は更に言葉を詰まらせる。

「…生き延びてしまったら、欲が出ちまった」

 薄い笑みを溢した迅がぽつりと呟く。

「お前に逢いたかった」

 伸ばされた手が十三姫の頬を撫でる。

「お前が俺の事なんぞ忘れて、幸せなんだったら一目見て去るつもりだった」

「………」

 
 だが…と、迅は続ける。

「お前の中にまだ少しでも俺が残っているなら、拐って行く」

「…残っていたら何だっていう訳? 兄様達を裏切って藍の名前を捨てて、幸せになんてなれる筈ない…それでもあんたは私を拐えるの?」

 その問い掛けに迅は困ったように苦笑を浮かべた。

「もう解ってる…あんたと私じゃ、一緒に幸せになんてなれない」

「ああ…」

 呆気ない程簡単に肯定する男に十三姫は眉を寄せる。

「あんたは私に幸せになれって思ってたんでしょ…」

 その為になら、己を顧みない…何時だって、憎い程に。

「だからあんたはその手を簡単に離したんだわ…」

 一人で、全てを請け負って。

「そんな事をされたら私は何も言えない。ただ絶望するだけ…あんたがそんなんじゃ幸せになれる筈ない」

「蛍…」

「それでも拐うと言うのなら、ちゃんと言ってよ」

 私の望む言葉を───

 十三姫のきつい眼差しが射抜くように迅を睨め付ける。

「もう離さない…俺が堕ちる場所まで、お前も連れてゆく」

 
 その言葉に十三姫は迅の胸に強く抱き付く。

「あんたと一緒なら、何処だって行ったげるわよ…」

「…雪那様達は判らんが、楸瑛は敵に回すぞ?」

 自嘲を含むその言葉に、十三姫は迅の立ち位置を知る。

「構わない。名は…藍の名は捨てるわ…私にはあんたの『蛍』だけでいい」

「蛍」

 名を呼ばれ、真っ直ぐに相手を見つめる。

 迅の顔がすっと寄せられ、口唇が重ねられる。

 昔、自分もその年頃の少女らしく御伽噺のお姫様に重ね合わせて夢を見た…

 甘い、夢にも見たくちづけに、十三姫は瞳を閉じた───


 

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