Pandora Hearts
□彼夜乃涙
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漆黒の髪、金色の瞳。
ふてぶてしい表情、くわえ煙草。
その青年は自宅の窓から深夜でもなお明るい街を一望した。
景色は、この十年という時の中でとてつもない変貌を遂げた。それは決して今見ているこれではない。青年の瞳に映ってきた景色のことだ。
変化、変貌、革命、進化、変容、
そしてそれは、人の心さえも…
「またぼーっとしてる」
明るい声が耳を通る。
はっとして顔をあげると、そこはあの日の深夜と同じように肌寒く、暗かったが、自宅ではなかった。
厳格なるレインズワース家のテラスであった。深夜にも関わらず、眠れないからと目の前の小さな主人に手を引かれ、外へでた。なんだか、自分の眠気すら吹き飛んだようだと思ってから、青年…ギルバートは「すまん」と苦笑した。
「お酒も呑んでないのにまた酔っちゃったのかと思ったよ、ギル」
そんなわけないだろと突っ込むと、オズはにっこりと笑った。その笑顔は、あまりにも、昔のそれとは違っていた。
ギルバートは思わず顔をひきつらせる。何故、と問われてもきっと答えられはしなかった。
否、本当はわかっていた。変わっていくオズを見る度に、自分独り、過去に置き去りにされている気がしてならないから。
怖かった。何よりも。
大切にしていたその人にいつの間にかおいていかれていることが。
「ギル、ギル?」
「あ…あ、なんだ?」
「顔色悪いよ。俺がこんな夜中に無理に起こしたからかな、ごめん」
らしくなく素直に謝られ、不意に胸がむず痒くなる。ただ、そのあと「ギルがか弱いこと忘れてたよー」の言葉によって、眉間に更にシワがよることになった。
この憎まれ口はいつになったらなくなるのか。
反抗期の子供をもった母親のような悩みにギルバートはため息をついた。
「戻ろう?少しは眠くなってきたし」
「そうだな」
オズがまた手をひき、今日泊まる予定であった屋敷の中へと足を運んだ。
「一人で戻れるか?」
不安を帯びた問いにむっとしたような表情を浮かべるオズ。大丈夫に決まってると不貞腐れたように呟いて、「ギルは心配性だなあ」と笑った。
「おやすみ、ギルバート」
「ああ…おやすみ」
一人廊下を歩いていくオズの背中を見送って、オズとは別の、自分に用意されていた部屋の戸を開ける。
真っ暗い部屋には、月明かりが射し込み、恐ろしいほど蒼白く、否、銀色に染められている。
ギルバートは電気をつけることなく、自宅のものより幾分も高級そうなベッドに向かう。
なぜだか、こんな美しくて静かな夜に限って幾ばくかの不安が胸を刺す。射ぬかれた胸はずきりと音をたてる。
なんだかなあ…
?
「うわあああ!!?」
もちろん、絶叫したのには意味がある訳で…
ベッドの中に別の何かが眠っていたのだ。白い髪…
白い髪?
「ブレイク?」
「…またこんな夜更けにどこへ行ってたんですカ?」
「オズが…眠れないというから…」
ベッドの中から聞こえる声は眠いのかとても小さかった。まさか起きていると思っていなかったので、ギルバートは少し不意をつかれてすっとんきょうな声をあげた。
ベッドから、クスクスケタケタと笑い声がする。肩を震わせ笑っているのか、ベッドがギシリギシリと軋んだ。
「何を驚いているデス?」
小馬鹿にしたその声には、なんだか、自分にはわからないほどの感情が隠れている気がした。
「いや…」と呟くとブレイクは顔を見せることなく続けた。
「最近…オズ君のことばかり気にしてますネ、君は」
まあ確かにそうかもしれない。オズは、大きく変わろうとしている。それに手を貸すのが、自分の使命なのだと思うのだが、置いていかれるのではという絶対的な恐怖がそれを実行することを阻止する。そんな混沌とした葛藤が、ギルバートを苦しめていた。
オズのことで一番苦しんでいるのだから、オズのことばかりかまってしまうのも、仕方ないことだと思えた。
「…そうなのかもな」
「君は、オズ君のことが好きなのかい?」
「違う、ブレイク」
ブレイクが何を聞きたいのか理解し、ギルバートはこの男を制した。
「ギルバート君…バカだね、君は。」
「バカとはなんだ」とは、言い返さなかった。
「私の独占欲が強いことなんて知ってるでショ?…そんなオズ君のことばかり見ている子にはお仕置きですヨ?」
体をひょいっと起こして、ブレイクは微笑して言った。
かあぁあああ…
と、そんな効果音が似合うくらいに、ギルバートの顔が紅潮する。それはこの薄明かるい部屋の中でもよく分かった。