02/27の日記
21:54
イキトシイケルモノ
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食に直結するイキモノにたいして妙に感情的になって自らの価値観をおしつけて正義と宣うヒトがいるが なんだろなぁ 元来ヒトはヒトの歴史を繋ぐ為にあらゆるモノを都合にあわせて利用してきたのだ ○○は△△だからよい ××は□□だからダメ
あくまでもそれを目の当たりにしたヒトのココロがそのときにそう感じただけなのだ
私は宗教的な観点ではなく私として万物にはイノチと祈りがありそれぞれの神が在ると思っている
たしかに何もウミダサナイ暴力は許せないし許されるべきではない
ただ行為全てを虐待と判断するのはどうかと思う
たとえば私の仕事である牛飼いでは牛に鼻カンをあける
たしかにピアスすらあけられない私にとって痛さは半端じゃないと思う
だが牛が病気したときの治療や爪を切るときやお互いに傷つけないために角を切るときロープで固定しなければ逆に不安な気持ちをを長い時間感じさせてしまう
私の牛飼いの仕事で一番嫌いなのは最後のブラッシングだ
きっとそれが変わることはないだろう
だって出勤日は毎日みんなにおはよう元気か?って挨拶するんだもんな
たしかにソイツがいた部屋が空室になり餌箱にただ落ちてきた枯れ葉を棄てる
どこかで元気か?と問いかける私もいる
そしてまた元気な前にいた奴に似ているが違う奴等が元気にやってくる
また最後のブラッシングまで相手してもらう
もちろん凹む
凹むが私はこれが私の今の生業である
感情的になる気持ちはわかる わかるが問題はそこではなく
なんでもかんでも粗末に扱う今の風潮ではないのか
私は私としてそう思ってイキている
万物のイノチを喰らってイキている
感謝をチカラに変えて
カナシミをイカリをヨロコビをそう感情の全てをチカラに変えて
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