04/28の日記

23:41

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人間の世界の医術ってのは肉体の寿命を引き延ばすことが1番って思想なのかなぁ。

やたらと長生き長生きと喜んでいるが、本当に喜ばしいことなのだろうか。

病院に行くと必ずやたらと元気な老人が「病院に行くのが日課やねん。病院行かなかったら不安で」と笑いながら大声でしゃべっているのを聞くが、いったい何が不安だというのだろう。

人も万物とかわらず肉体を持ってはじめてその存在をゆるされるわけではあるが、自らの存在する価値を決めるのは目に見えない精神であって肉体ではない。

植物や人以外の動物をみていると凄くハッキリとしていて運命に忠実であると思ってしまう。

なぜ今こんな疑問がうかんだのかというと、現在私の友人が白血病で余命一ヶ月宣告をうけ、ホスピスに世話になっている。

彼の話では自らの死を受け入れたわけではないが、運命にシタガウしかないとのことであった。

私自身も腫瘍摘出手術を経験し、現在は右脳に悩み?を抱えているのだが未だ彼のようにドウシヨウモナイ運命ニシタガウ気持ちになれずにいるものだからそちら専門の病院には行かずにいる。

(〃__)σう…ん 肉体って何?運命って何?って考えだすとワケワラカナクなりますなぁ。

医術ってのは何なのですかね。
長生きってのは何なのですかね。

とりあえず今の人間年齢層ピラミッドは崩れていて、それが未来を不安色に染めている。

いたわるとかいたわり合うとかいうが、それは肉体が弱いからいたわるのか?
肉体は衰えてはいるが愛するべき精神の持ち主だからいたわるのか?
私には近ごろこのあたりが理解しがたいのである。
長生きはエライのか?尊いのか?
では燃える命とは長さで良否の判断をされるような薄っぺらいものなのか?
こういうと頭デッカチでやたらと押し付けがましい能書きをたれる輩がいるが、ホントウのホントウを理解して宣うのだろうか。

まぁこの疑問はきっと私の次の運命の扉が開いたときに少しだけワカルのかもしれないが……

にしても肉体ってのは不思議なモノですねぇ。
なんとなくないほうが幸せなのかなぁって思わせるんですからね(自殺志願者じゃないよ痛いの嫌い)。

では今まさに次の運命の扉を開けんとしている我が友人が私に言った言葉を皆さまにもお伝えいたします。




「ええか、俺は早死にやない。ここまでが今の俺の運命ってやつや。お前がなんぼほど活きるかしらん。せやけどお前が次の運命の扉を開けるその瞬間までは、マチガイナクお前らしく活きろ。長さやないし強さでもない。ただお前らしく活きろ。俺は一足先に解き放たれた世界とやらでお前のしがみついている姿をしっかりとみせてもらうわ。゚(゚^∀^゚)゚。アーッハ」




私は彼の見事さに言葉を失いました。

今 震災によって苦しんでいる命がたくさんあり、まだ輝く前だというのにその幕を閉じた命があるというのに混乱をまねく情報を発したり攻撃したりする命があると聞きます。

長さや強さでない命の光り輝く様、いまこそみせようではありませんか。

今日の誕生花はユスラウメ。花言葉は郷愁…。

愛すべきは未知でなく道。そう思いませんか。



☆コメント☆
[TAKA] 06-22 10:28 削除
わかります、共感できます!
形あるものはいつか滅びる、肉体もしかり!
永遠に生きるより、今を悔いなく生きることが、限りのある人生の目標であり、幸せだと思います!

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