04/29の日記

21:13
4月29日…いつかのあの日
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あっという間に桜は咲き、今年も人々を狂喜へと誘いそして素知らぬ顔をして和かな陽に向かい燃えるような若葉を枝という枝に遊ばせて楽しんでいる。
かつてみどりの日と呼ばれた今日昭和の日、皆様いかがお過ごしでしょうか本田ちゃぼです。
さてまたまた久々の日記ーブログ更新であります私、けして遊んでいたわけではなく全く書けなかったわけです。(書くのが仕事なんだから書かないのはさぼっているのと同じだとhotな言葉が飛んできそうだが、まぁ仕方ないだろう書かないのではなく書けなかったんだから…)
さて今年は皆さんは桜を愛でに行かれましたか? 私はおかげさまで和歌山、明石、篠山と三ヶ所で燃ゆるミツバツツジとともに見事な桜出ル狼煙を眺めることができ春を満喫いたしました。
桜花の色はまだ寝ぼけ眼の椚や柏、銀杏やぶなの静かな木立によく栄え、いかにも厳しい冬を越えたことを喜び讃えあうように見えます。
はて…厳しい冬ですか
いかがですか?厳しい冬の実感ありましたか? たしかに世情は厳しく、いかに出鱈目な政治家たちを選んでしまったかを痛感させられたとは思いますがそうではなくて冬です冬! たしかに寒い日が続き、天気予報を観ればドウシヨウモナク無表情な雪だるまマーク…
うむ、冬といえば冬だったし鍋も旨かった。 だが冬を味わったかと振り返れば私は疑問である。 まず秋は少し夏の背をトンッと勢いよく押さなかった気がするし冬は秋を蹴飛ばさなかった気がする。
たしかに正月に凧上げするガキどもを(二十数年前の可愛い私のような)見なかったし海外旅行がどうだこうだとも聞かなかった。 微かに耳にしたのはバカみたいな政策のおかげで走る凶器?狂気?と化した車たちがあちこちのただ信号機がないだけの道に溢れ、地球温暖化に拍車をかけただけで、どこまでも始末とケチの違いを理解できない輩は地方に金を落とすどころかあちこちに車を停め、日頃はめったに共にしないお互いの寝顔を新鮮かつ疎ましく思いながら過ごしゴミとため息を落として帰ったとか…。
私は思います。 私のハジマリを見届け、いや日本を育みたくさんの汗を流し血を流し魂のコールを聞きながら何かを残し消えた昭和は今をどう思ってみているのだろうと…
ニュースを観れば下らないゴシップやあげ足取り、便利になったはずの現代文明に押し潰されそうなイマジン…。
だいたいしたい放題の小娘などどうでもいいし、隣国の思想の違う政治などどうでもいい。 そもそも芸能人っていっても芸といわれることを何もしないときはただの派手な人である。 いちいち公共電波を使用して流すことか?思想の違う国のことをとやかくいったりガソリン値上げや高速料金なんかを大げさに(彼らは自らの報道言論の自由だけを訴えそれに伴う責任というものは個人に任せて知らん顔する)いって煽ってもどうしようもないだろう。
よく周りを眺めてみなさい。そして聞いてみなさい。桜の命ははなかいなどと大の大人がほざいているではないか。 エコだエコだと叫んで自己中な運転で渋滞巻き起こすエコカーで溢れ温暖化を加速させているではないか。
○○手当て? そのためにどれだけの人々が税金を払うのだ? 子供を産めば天下なのか?違うだろう。
昭和の時代は手当てなどなくても親は子供をたしかに世に送り出した。
変わったといえばやたらと家庭の通信料が高くなった(やたらと使う)。娯楽や外食が増えた。 そして家庭の味という宝はハサミで切り刻まれ粉々になった。
私は思います。 いったい何が新しい文明だ何がエコだ、何がリアリティーだ。
私は思います。身体つまり肉体の使用時間は増えたが命は?精神は? 薄くなったのではないのかと…。

この小さなカレンダーに小さな赤丸で囲まれるだけとなった何十年という時間 昭和。
いったい何が必要で何が無駄で何が新しくて何が古いのか、そして何が大切なのか、隣の昭和に想いを馳せてみなくてはいけない…そう思います。
今日の誕生花はカキツバタ…花言葉は幸福はあなたのもの…
幸福とは目にみえる何かで獲られるものでなく、ただ何となく得られるものだと思います。



昭和よ
あなたのみた未来をワタシは観ているのか

昭和よ
ワタシはあなたに未来をみている

それは眩い玉石のそれではなくて

それは幾重にも重なりて揺らぐ蝋燭の炎のように儚くも温かい

昭和よ
ワタシはあなたが流した汗の 涙の 血の意味を知らない

だが しかし昭和よ
ワタシは愛を知っている

あなたが愛した愛を知っている


昭和よ 時代は過去となって輝く炎となる

そう幾重にも重なり揺らぐあの 蝋燭の炎のように




本田ちゃぼ

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