01/11の日記
23:05
ヒトという名の侵略者
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写真をご覧になってみてください。
この道って実は半年前は半分ほどの広さしかなく、わんさかと緑生い茂る森の道だったのです。
私は昨年様々なことがあり、ボロボロになっていた時期があるのですが、そんなボロボロな私に幼少時叶わなかったクワガタ採集の夢を叶えてくれたと同時に、ただ静かに私を包み抱きしめてくれた場所なのです。
といいましても秘境と言われる場所ではなく神戸市にあって、一般のハイキングコースの一部となっている場所なんです。
写真の容量の関係でたくさんのナイスなポイントをお見せすることができないのが残念ではございますが、山の中に小さな川が流れ、ゲンゴロウやタガメなんて虫までいる池まであり、雑木林にはたくさんの種類の鳥の鳴き声がサワサワと揺れる木の葉の音色に共鳴しておりました。 いえ、今もうっすら積もる雪の上には動物の肉球のハンコが押され、やや寒そうですが鳥たちも鳴いておりますが、皆さん写真の道がなんだかおわかりですか?
これオフロードバイクと小型四輪駆動車が掘り返して広くなってしまったハイキングコースなのです。
ちょうどこの写真の左手には綺麗な天然の池があり右手にはハイカーたちが休めるような広場があり、大変ナイスなスポットなのです。
ですがこの有様です。
池まではあと約1.5bしか土はなく、断面には引きちぎられた木々草花の根がさらされております。
歩きやすかった道は掘り返されたおかげでかなり危険な道となってしまいました。
木々はあちこちで倒され、タイヤやサスペンション、オイルやクーラントの空き缶が捨てられていて、転倒時にこぼれたであろうガソリンやオイルが闇の虹を土に落としております。
さらにはおにぎりやパンの入っていた袋や空き缶まで…
もちろんオフロードバイクや四輪駆動車で自己満足のためだけに山を破壊しながら「自然を満喫」とかいってアウトドア用品を広げている輩だけでなく、にわか健康ブームにどっぷりハマった「無意味な長寿希望者」が無造作に捨てたゴミやお決まりの家電ゴミもあります。
が、私は一番許せないのは山を破壊しているオフロードバイク愛好家と木々を破壊している四輪駆動車愛好家たちの所業です。
あの綺麗な池もあとしばらくすれば崩れ落ち、ハイキングコースを血の海にすることでしょう。
そこにいたはずのあらゆる生き物は生き場所を失い住家を無くし、結果民家で害虫として駆除されてしまうことでしょう。
池に集まる生き物を餌にしていた獣たちも同じく銃で撃たれ、「野生の危険な動物を駆除した」と胸をはって言われてしまうことでしょう。
して、山を破壊した当人たちはヘラヘラとしまりのない笑いを流行りにまかせただけの風貌にまかせた汚い面に浮かべながら「あの道よく攻めたぁ」などとほざくのでしょう。
根っこを引きちぎられ土を削り取られ果てた木々は?生き場所を奪われ害虫扱いされて果てた虫たちは?ただ山に生きていて餌がなくなり生きれなくなって銃に倒れた獣たちは?
彼らに何が残るのか?
私たちはこの一瞬をどう言い訳して永遠に繋ぐのか?
「昔、昔あるところに山があったとさ」
くだらない歴史をゴミとともに地層に刻み、いつか断層にさらすのか?
そのころ今の自分は存在をしていないからいいのか?
存在をしていないのではなく許されていないのだ。
私は思う。
便利を進化と勘違いし、ただ使い捨ての世の中を人類の栄華と讃え、しがみつくように長生きを祝う。
愚かなことだと。
私もヒトだ、死はこわいし死にたくない。
だが愚かしさを讃えて生きたくはない。
綺麗ごと…綺麗ごとかもしれない。
私はただのヒトで、何も手に掴まず灰になる塊にすぎない。
ただ私は私であるために正しさを求め悩んでここに在りたいと思う。
今日の誕生花はフリージア。花言葉は無邪気…無邪気さには己の損得も夢でさえもあってはならない
ただ産み堕とされてただ笑う乳飲み子のように
ただ風に笑い
ただ果ててゆく
かのフリージアのように…
《つつまれしゆめたち》
人は皆、幾千の本当を持っている
同じじゃないから悲しくて
同じじゃないから愛しい
悲しみの果て
静寂のかなたから
降り注ぐヒカリを知っているから
ザワメキの螺旋の中を
人、人は歩いてゆくのでしょう
夢 幻とどこかで知りながら…
ほら、ごらん
いつかキエユク
愛に満ちた
このマチを
本田ちゃぼ
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