tennis
□小さな逃避行
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水のせせらぎが心を静かにし、暗い辺りを照らす淡い光は幻想的で綺麗だ。
「あっちのイルミネーションもええけど、こっちはこっちで雰囲気出るやろ?」
下駄の音を鳴らしながら忍足はその幻想的な景色の中、俺を振り返った。
京都に、来ていた。
夏もあと僅か。
景ちゃんに見せたい景色があるんよ。だから、どうしても行きたい――。
そう言われてここまで来た。
先程、鴨川沿いの店の納涼席で夕飯を摂った俺達は、ホテルまでの道を二人並んでゆっくり歩いている。
この時期、鴨川では七夕祭が催されており、ライトアップされた笹の葉がずらりと並んでいた。
川の中では友禅流しが行われ、川沿いは観光客で大いに賑わっていた。
俺達もそんな観光客に漏れず、浴衣姿に団扇を持ってその景色を堪能してきたのだが。
今居る場所はそんな鴨川から少し離れた、小さく流れる人工川と目に優しい柔らかな光が灯されている通り。
あちらと違って人通りもまばらな静かなこの道は、まるで二人だけしか居ない、世間とは切り離されたような世界を錯覚させる。
流石ラブロマンス好きを豪語する、忍足一押しの場所であると頷けた。
「ま、お前にしてはなかなかのチョイスなんじゃねーの」
とてもこの場所が気に入ったのだが、素直になれない俺はいつも通りの言葉を奴に返した。
「気に入ってくれたみたいで良かったわ」
目を細めて微笑した忍足は光の中、俺を手招く。
「なんだよ?」
不思議に思って近づいた俺は奴の腕に抱きすくめられた。
「ちょ・・・忍足っ・・・!」
「大丈夫やって。こっちの通りは滅多に人も通らんし」
「そういう問題じゃねーだろっ・・・!おいっ・・・」
「景吾」
いきなり真剣な声で耳元で囁かれ、忍足の腕の中で暴れていた俺はびくりとなる。
「景吾・・・。誰にも渡したない。ずっと、傍におって・・・」
珍しく弱気なこいつの言葉に、俺も胸が締め付けられるように切なくなった。
全国大会が終わって、俺達は部活を引退した。
とは言ってもエスカレーター式の受験がないシステムのおかげで、次期部長の日吉の指導の為、身体を訛らさない為・・・等の理由で俺を含め、元レギュラーの三年はほぼ毎日部活に顔を出していた。
そんな中、一度だけ俺が部活を休んだ日がある。
理由は家庭の事情。
夏が終わり、俺の中でテニスが一度落ち着いた、そう判断されての見合い話。
もちろん両親にもこの年で結婚させよう、なんて気はまだないはずだった。
しかし今から少しずつ意識をしていけ、という事なのだろう。
自分でも予想していた事だったが、これから先、更に増えていくであろう縁談には正直嫌気が差す。
忍足には黙っていたのだが、結局、詰問されて口を割ればその場で喧嘩になった。
俺だって見合いして好きでもない相手と結婚なんて、本心では死んでも嫌だと思っている。
だけど俺も、忍足も、まだ親の庇護を受けているただのガキで。
どうしたって抗えない。
それはこいつだって理解しているのだろう。
葛藤の末、こんな所まで逃げるように、二人きりで・・・。
そんな些細な抵抗しか、俺達には出来ないの
だ。
だから早く、大人になりたい。
周りを納得させるだけの力を手に入れたい。
そうすればずっとこいつと。
「お前以外の隣に俺の居場所なんかねぇよ。お前も俺を放すんじゃ・・・ねーぞ」
ぎゅっと背中に回した手。
「当たり前や。死んでも放すか・・・」
忍足の低い声が返ってくると共に、俺は更に強く抱きしめられた。
目に見えない鎖で、ずっとずっと繋がっていよう。
その鎖で互いをがんじがらめに縛ってしまおう。
そうすればもう、離れる事なんてないはずだから。