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□朱陽の姫と、翠月の君〜平安浪漫奇譚〜
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「……つーか、“たおやか”も何も無いってーの。あんな重いモン着て、そうそう動ける訳無いだろうに。本当女の人って凄いよなぁ…良く十二単(あんなの)着て、生活してられるよなぁ…」


そろそろ夜も更けようかと言う時刻、その人物は夜着一枚の姿でやれやれと一つ大きな伸びをした。疲れた様にとんとんっと肩を叩いていると、傍らからスッ…と延ばされた腕が、彼の人の躯をやんわりと包み込む。

「お疲れ様でした、一護サン。今日も大勢来たみたいっスねぇ…、…大丈夫っスか?寒く無いっスかね?」

そう言って心配げに腕の中の人物を覗き込んだのは、先程大通りをのんびりと歩いていた男だった。
腰に下げていた刀は傍らに置かれ、男の肩を飾っていた羽織は、今は腕の中の人物を優しく包んでいる。
杯と幾つかの酒肴が男の為に用意されており、まるで自宅に居るかの様に男は寛いでいるが、実は男はこの屋敷とは縁も所縁も無い。

男に柔らかく抱き締められている、『一護サン』と呼ばれた人物こそが、この部屋の主だ。
年の頃十四、五才のその人物は、男にゆったりと身を任せ、自身の長い髪を男の指が梳いて行くのを為すがままにさせている。
その感触が心地良いのか、うっすらと瞳を細めて甘える様に男の胸元に頬を寄せる。

「…うん…、大丈夫。ちょっと疲れた気はするけど、でも半数の人は親父の薬で十分良くなるって言ってたから。俺が看た人は、何時もより少ない方だったし」

皆早く良くなるといいよなぁ。
そう言うと一護は、彼方の方へと視線を向けた。塀越しにこの屋敷と隣接している建物には、一心の薬を求めて(それ以外にも理由は有るのだが)遠方から訪れた多くの病人達が寝泊りしている。
症状によっては養生に数日掛かる者もおり、一護はそんな病人達の様子を思い返したのか、少し眉間に皺を寄せた。

「病の素は俺が取り除いてもさ、無くなった体力までは戻せないし。皆には栄養の有るモン、一杯摂ってもらわないと――」
「――ソレは、キミにも言えるでしょ?」
「え…、俺、も?」

こてんっと不思議そうに頭を傾げた一護の唇を、男の指先がそっとなぞる。

「喜助…さん?」
「…駄目っスよ一護サン?雨(うるる)が言ってましたよ、『この頃一護様の食が細いんです〜…』って」
「いやっ…雨が持って来る量が半端じゃ無いんだってっ」

雨と言うのは、最近一護の側仕えとして雇われた少女だ。一護の身の回りの世話の他、一護の妹達の遊び相手として屋敷に住んでいる。外見が妹達と近い為か、一護も雨の事は殊の外可愛がっていた。先程男が摘んでいた酒肴も雨の手による物だ。

「何言ってんスかっ一護サンの年頃なら、もっと食べたって良いくらいっスよ?」

『喜助』と呼ばれた男はそう話しながら、一護の躯に回した腕に力を入れる。
喜助の体型は屈強と言う程では無いが、それでも抱き締めた一護の腰は、その喜助の腕にさえ余ってしまう。

「もう〜駄目じゃないっスかぁ。この前よりも細いっスよ」
「っ喜助さんっ、ちょ、くすぐったいってっ」

さわさわと夜着の上から撫でられ、ほんの少し一護は抗議の声を上げるが喜助はお構い無しだ。己を見上げる一護の額に口付けると、

「…本当、お願いだから無理はしないで下さいな。幾ら『奇跡を起こす姫』とか『生き神様』とか呼ばれても、一護サンは生身の躯なんスから、ね?」

そっと耳元で囁き、長いその鮮やかな橙色の髪を愛しげに掬い上げた。



―― 一護の本名は『黒崎一護』と言い、黒崎一心の三人の子供の長子に当たる。
『一の姫』と呼ばれてはいるが、れっきとした『男』だ。
では何故、男で有るにも関わらず『姫』と呼ばれているのか。
それには大きな理由が有った。
その昔数えて七つの齢まで、子供は人には非らず神の子とされていた。その存在が現し世に安定せず、祖霊界との間を行き交うと言う。そしてこの様な時期、総じて一護の様に不可思議な力を持つ者は妖し等に狙われやすかった。
実際一護の身の回りでは、奇妙な“出来事”が起きる事が多かった。
側には誰も居ないのに、いきなり突き飛ばされたかの様につんのめり、池に落ち掛けた事。
『向こうで呼んでるから』と乳母の手を離し、歩き出し一護目掛けて牛車が暴走した事等。
他にも色々と起こり、下手をすればその生命が危うかった事も度々だった。
そこで一護の身を案じた両親(一心と真咲)は陰陽師に相談し、以下の助言を受けた。


『七つの齢まで“女子”として性別を偽り、その存在に目晦ましをかけるべし』


“黒崎一護”では無く。
“黒崎家の一の姫”として別の存在を創り上げ、本来の存在(“黒崎一護”)を隠す様にと。


勿論一生では無く、一護が七つの齢を越え人の世に定着した折には、本来の性別・存在として暮らして行けば良い事なのだ。
七つを越すまでならばと、一心達は一護を「一の姫」として、女子として育てる事とした。
念の為屋敷には結界を張り、それこそ掌中の珠として大事に、大切に護り抜いた結果。
一護は無事七つの齢を越える事が出来たのだ。
ならば後は“黒崎一護”に戻り、普通に男子としての暮らしを始めれば良かった筈なのだが――これに関しては一心に原因が有った。
一心曰く、

『…だってなぁ……真咲そっくりで、本当に可愛かったんだよなぁ…。ご近所さんにも「本当に奥方様に似て、将来が楽しみですね」とか言われてさぁ。……つーか、こんな可愛い“娘”、オレはず〜と!憧れてたんだよぉぉっ』

当時はまだ一護の妹達は生まれておらず、愛らしい娘が欲しかった(勿論男子でも大歓迎だったが)一心としては、見た目だけでも良いからと、ついつい一護の女装解除を先延ばしにしてしまったのだ。
また真咲としても、物心がついた時からの生活様式(女子としての生活)を急に変えるのも、一護には負担だろうと。少しずつ慣らして行けば良い、そう考えて敢えて反対はしなかった。
しかし『世間』はその様な内情など知る由も無く、ただ『不思議な力を持つ“黒崎家の一の姫”』の存在だけが知れ渡り――結果。




「…まぁ…、今更『一の姫は“男”でした』なんて言えねぇしな…」

帝にだけは流石に真実を知らせぬ訳にはいかなかったが、大半の人達は一護を“姫”と信じて疑わない。男とばれぬ様に、療養の際に薄衣を被って顔を隠し、極力しゃべらずに応対しているのだが、却ってそれが“一の姫”の神秘性を高めてしまっている始末だ。

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