四天ぶっく

□爪先を見て歩く
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コートの片隅で、誰もいない、何もないコートをただひたすらに眺めていた。手に持ったテニスボールをポンポンと近くの壁にぶつけて遊んでいれば、小さな小石にでもぶつかったらしく、あらぬ方向へと飛んで行ってしまう。それを追いかける気力は、今のあたしにはない。
小さく溜息を吐けば、不意にカサリと、誰かが立ち止る音が聴こえて、振り向けばそこに立っていた彼は優しく笑って見せた。



「まだ、帰ってなかったん?」


「あー、うん。」

「部活終わってからずっとここに居ったん?」

「そう。」

「風邪ひいたら困るさかい、はよ帰るで。ほら、」



蔵ノ介が差し出した手を、あたしは握るどころか、目も向けない。
世界で一番信頼できて、今のところ一番安心できる存在な蔵ノ介だけど、そんな彼をあたしはたまに妬ましく思う。このテニス部の部長としても、テニスプレイヤーとしても、人間としても、勿論男としても完璧である蔵ノ介が、とても羨ましくて。
そんな蔵ノ介と相反するように、あたしには何の取り柄もない。蔵ノ介の好意でマネージャーをやっているけれど、これといって皆の役に立てているとは思えないし、テニス部の後輩たちに舐められてるみたいだし。けれど、それも好意だと分かっているから大丈夫。



「名無しさん?」

「…………。」

「ちゃんと自分の口から言うてくれな、わからへんで。」



蔵ノ介は、多分わかってるんだと思う。
問題なのは、テニス部に好意を寄せている女の子達。気の利いた仕事が何一つ出来ないあたしも、けれどそれを許してしまう部員達も、全てが気に入らない。それは全部あたしの所為。彼女達がそう思うのも仕方がない。あたしは本当に何も出来ないから。



「……怒らんと、最後まで聞いてくれる?」

「えぇで。」



言いながら、蔵ノ介はあたしの目の前に腰を下ろした。ついでにあたしの肩に、さっきまで蔵ノ介が着ていたジャンバーを掛けてくれる辺り、本当に良くできた人間だと思う。



「あたし、蔵ノ介が嫌い。……っちゅーか、ムカつく。」

「……うん?」

「何でもかんでも完璧過ぎやねん。あたし、何も出来ひんのに。ほんでまた、そんなあたしを許してくれるし、いつも優しいし、無駄にカッコえぇし。せやから、蔵ノ介と一緒に居ると、ほんまにあたしって何なんやろって思ってまうねん。」



だから、蔵ノ介が嫌い。だけど、そうやって全部全部蔵ノ介に押し付けて、あたしの所為なのも全部蔵ノ介の所為にして、そうやって逃げようとしてるあたし自身が一番嫌い。大嫌い。
心の中の黒い感情を全部ぶちまけて、溢れ出てくる涙を止めようともしない。そんなあたしの背中を蔵ノ介は優しく擦ってくれるもんだから、尚更涙が溢れてくる。嫌いだって言ったのに、それでも優しくしてくれる、そんなに良い人を嫌いっていうあたしは、本当に最低。



「すまん、」

「何で、蔵ノ介が謝るん?あたし、今めっちゃ酷いこと言ったんやで?」

「いつも一緒に居ったのに、そないなことも気付けへんかったんや、俺。それに、名無しさんが思うとるほど完璧な人間ちゃうし。」

「そないな謙遜、いらへん。」

「謙遜ちゃうで。」



言うのと殆ど同時に、蔵ノ介は両腕でふわりとあたしを包み込む。状況はよくわからないけど、顔が熱くなる感覚だけはよくわかった。長い間、蔵ノ介と一緒に過ごして来ているけれど、こういう目線で蔵ノ介を見るのは初めてだから、どういう反応をするのが正しいのかわからない。さっきまで溢れ出していた涙も、言葉も、今は全く出てこないのはどうしてだろう。



「俺、好きな子の悩み事一つも気付けへんかってんで。」

「…………好きな子って?」

「この状況で名無しさん以外に誰が居んねん。」

「あたし、さっき蔵ノ介のこと嫌いて言うたのに?」

「ほんまに嫌いなんやったら、遠慮なく全部俺の所為に出来るやろ。出来ひんのは、俺のことを気にしてくれとるからやと思うで?」

「………………。」



それはつまり、あたしが蔵ノ介を好きやっちゅーこと?
聞けば、蔵ノ介はニコリと笑って「俺は、名無しさんんこと好きやで。」と。後は自分で考えろと言うことらしい。答えは薄々気付いている、けれど、散々酷いことを言ったのに、今更そんなこと。
そう思いながら俯くと、不意に頭に何かが当たる感覚がして、空を見上げる。



「あ、雨や……。」

「あぁ、ホンマや。ほな、この話は後にして、とりあえず風邪ひく前に帰るで!」

「……うん、せやね。」



タイミングが良かったのか悪かったのか、突然降り出した雨の中、あたし達は蔵ノ介の傘の中でぴったりくっついて帰った。蔵ノ介のジャンバーも着たままなのに傘に入れてもらえるなんて、選手とマネージャーとしても、人間としても不甲斐なさすぎる。
チラリと蔵ノ介に目をやると、蔵ノ介は「明日、晴れるとえぇな」なんて言いながら笑うから、何故か涙が零れた。



爪先を見て歩く


こんなにも優しい蔵ノ介を嫌いになれるはずなんかないのに。

(……好き、)
(な、ななな何で急に言うんや!ビックリするわ!)





★★★
リクエストは切甘だったのに、殆ど切ない。

(20120125.闇風光凛)よろ企画「つ」

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