立海ぶっく
□焼き魚
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彼女はしっかりもので成績だって良いし、綺麗で可愛くてそれでいて明るい。それがきっと彼女が皆に愛されてる理由なんだと思う。強いて欠点をあげるとするなら、変なところで天然なことだけれど、それだって裏を返せば可愛いのだから何も問題はない。つまり俺はそれくらい彼女が好きなんだけど、本題はそういうことじゃなくて、バレンタインデーに本命チョコをくれるかどうかって話。
「精市が名無しさんに本命チョコを貰えるかとそわそわしている確率99%だ。」
「や、なぎ……」
「そんなに嫌そうな顔をするな、精市。」
嫌だと思ったわけではないけど、俺の心うちをこうも簡単に口に出されると言うのは、あまり気持ちがいいものではなかった。もっともそれは、柳の台詞が今の俺を鮮明に写し出していなければ生まれなかったはず。
嫌味ではなく事実として、俺は学校で沢山の女の子から“本命チョコ”とかいう、俺の気持ちを完全に無視したチョコレートを貰う。だけど、名無しさんから貰うものはいつも、チョコレートのど真ん中に大きく“義理”の文字。
「前までは貰えただけで嬉しかったんだけどなぁ。」
「貪欲でこそ人間だ。」
「……録音したいからもう1回言って。」
「精市が名無しさんに本命チョコを貰えたらな。」
柳のひどくやらしい笑みに、俺は何も言い返せなかった。柳がそういう性格なのは知ってたことだけど。
柳に笑みを返して、俺はゆっくりと立ち上がる。いつも柳が言うことは正しくて、だからって簡単に信頼しちゃう俺も俺だけど、バレンタインデーくらいは貪欲でも良いんじゃないかって自分に言い聞かせた。
「あ、精市くん。」
教室に戻ると、丁度よく俺を呼ぶ名無しさんの声。それにビクリと反応した俺は、きっと端から見ればすごくカッコ悪いだろう。そんなことを思いながら、名無しさんに「どうしたの?」なんてとぼけたような返事をした。期待を顔に出すなんて、俺にはできない。
「あたしね、精市くんにバレンタインデーのプレゼントしようと思って。」
「そう、嬉しいよ。」
「本当!?良かった……」
俺の反応に対して、そんなに安心してくれるなんて、それは少しでも期待していいってことなのだろうか。俺についに名無しさんから本命チョコを、
「だけどね、」
不意に、俺の想像(妄想と言えなくもない)を遮るように名無しさんの声が俺に届いた。まるで俺の期待を一気に不安に変えてしまうような声でポツリと呟いたそれは、俺を不安にこそさせなかったものの複雑な心境にさせるもので。差し出されたそれを見れば、尚更に。
どこで何を間違えたんだろう。
「チョコレートじゃなくて焼き魚なの。」
「…………は、ははは」
「せ、精市くん…?」
「いや、うん、ありがとう。みんなからチョコレートばっかりもらってるから、塩辛いものの方が…うん。」
そんなアイデアがよく思い付いたものだと誉めてあげたいくらいに、斬新で奇抜で思いもよらなかった。バレンタインデーといえばチョコレート菓子、という大前提を意図も簡単に覆すなんて名無しさんくらいじゃないだろうか。
そして、こんなものでも特別を感じるのなんて、俺くらいじゃないだろうか。焼き魚は精市くんだけだよ、その言葉に希望を持ってもいいのだろうか。俺は、何故喜んでいるのだろうか。
「あたし、」
「…ふふ、」
「な、何!?」
「やっぱり俺は名無しさんが好きだなぁと思って。名無しさんも、俺のことが好きだろ?」
「……っ!」
途端に顔が真っ赤になる名無しさんにキスを落とせば、焦点のあっていない目で見つめ返された。あぁ、可愛いなぁ。
特別な焼き魚
(本命貰えたから、あの台詞言ってくれる?)
(本命“チョコ”の約束だったはずだ。)
(…柳、あんまり傷をえぐらないでくれるかな。)
(110215.闇風光凛)