しのぶ

□諸泉の
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水面に写る自分の姿を見て、なんと滑稽なと自嘲の笑みが浮かんできた。黒い装束に映える赤い斑点が付いた額。

(情けない…)

 今日も今日とて負けてしまった。寄りによって折れチョークに。許すまじ土井半助、せめてもっとまともな得物を使ってくれと何回呟いたことか。

「はー…ん?」

 後ろから人の気配がした。足音からして下級生かその辺り(素人じみた音だ)か?と振り向けば予想に反して、女。

「あー、おでこ…真っ赤ですね。」
「笑いたきゃ笑えよ…はあ…。」

 自分の額について話す女に投げやりにものを言うと、一拍置いてから「冷やすもの持ってきますよ。」とだけ言い忙しなくぱたぱた離れていってしまった。何なんだ女。

(警戒心、もっと持つべきだろ普通。初見だろ俺ら。)

 このご時世、呆れてしまうのはご容赦願いたい、いや別に誰にゆるしを貰おうとしている訳ではなのだが。
 そんなことをつらつら思案している内に件の女が戻ってきた。水の入った桶と手拭いを慣れた調子で扱い、濡れたそれを差し出してくる。

「はいどうぞ。」
「…どうも…。」

 あ、思い出した。組頭が言っていたな、「六年生が女の子を拾ってきたんだよ。」と。そんな犬猫じゃああるまいし、なんて返したのだった。

「自分で言うのもアレだけど、俺曲者なんだけどさ。」
「初めてお会いしましたね。そうだ、お名前伺ってもいいですか?私、小此木千尋です。」
「諸泉、尊奈門。」
「諸泉さん…ですか、やっぱり。噂をときどき聞いていたのでそうじゃないかなあって思ってました。」

 …実はこいつ食わせ者か。いやただの考え無しか。

「土井先生にいつも勝負を挑んでいるんですよね。」
「…いつも負けてるけどな!」

 じと目で榊を見ると少しばかり苦笑いをし「お疲れ様です」なぞのたまっていた。

「仕事熱心で真面目な人だって伺いました。忍たまの子達にもよく構ってくれるって。」
「いや、勝手に向こうが絡んでくるんだよ。」
「あはは…でも楽しそうには組の子たちがよく教えてくれるんです。」

 どんな方なのかなーって思ってたんですよ。など暢気に言う小此木に頭痛を覚えた。何だこのぼへらぼへらとした思考回路は。

「そろそろ手拭い交換しましょうか。温くなってきむぐっ。」

 不用心に桶に目を向けていた榊の口に押し込む。

「なに…?甘い?飴?」

 右の頬がぷくりと膨れた小此木は目を白黒させたまま俺を見つめる。そうだよ飴玉だよ悪いか。組頭が持たせるんだよ、無理矢理。「飴ちゃん持ってると喜んでくれるよ。」とか言うんだよ。断れないんだよ悪いか。

「これで借りは返したぞ。」
「ああ…お礼ってことですね。」

 物分りはいいらしい。

「…あ、そうだ。お礼、で思い出したんですがちょっと参考に、なんですが聞きたいことがあるんです。」
 
 むごむごと右手で口を押えながら左手で冷えた手拭いを手渡してくる。

「一応聞いてやるけど。」
「男の子ってお礼貰うんだったら何がいいのかなあ。と。同じ男性としての意見をひとつ。」
「また突然だな。」

 いきなり要点のみを伝えてくる千尋は「ですよねー。」と自分にたいしてだろうか、手拭いを持ちながら苦笑いを零していた。

「そんなの自分で考えてみろよ。そいつの好みだってあるだろ?」
「…ご尤もです、はい。でも参考に。」

 食い下がる小此木にはあ、とため息が漏れる。

「ずっとお世話になりっぱなしになってる、感謝してもし切れないくらいの男の子なんです。…お父さんとか女友達は有っても、年頃の男の子にそういうことしたの一度もないので。」

 ははあ、それでか。おおよそ見当は付く。相手は「拾って来た六年生」か。

「お前…間抜けだったんだな。」
「まぬっ…!」

 実に落胆した様子の小此木は下を向き「まあ自覚はありますけど…」とぽつぽつ呟いていた。こいつ、いっちょ前にいじけている様だ。

「そいつはお礼が欲しくてお前を拾って来たのか?」
「…ううん…!そんな子じゃないです。すごく優しい。気にするなって何時も…。」
「それが心苦しい?気が済まない?」
「…はい。私お金を殆どというか全く持ってないのもあるので。今更ですけど会ったばっかりなのにこんな話してすみません…」
「今更だな。…でそいつから『欲しい物』とか『してほしいこと』とかリサーチしたのか?」
「それとなく聞いたことは…『今度団子屋一緒に行こう』って。でもこれじゃあわたしに気を使ってくれてるみたいで…わたしが考えてる様なお礼とちょっと違うので。」
 
 初々しい会話のそれは聞いてるこちらがむず痒くなってくる。

「惚れ込んでるんだなあ…。」
「ほれこむ?」
「いやだから千尋とそいつだよ。」

 ぽかんとしたその顔は随分と、初対面の人間に言うのもなんだが間抜けだった。寝耳に水、瓢箪から駒。

「は…?」

間。

「違うのか?」
「…いやいやいや、そんなご冗談を。」
「…じゃ、嫌いなのか?」
「…諸泉さんは意地悪ですよね、実は…。」

 蚊の鳴く声で告げる声は「そうじゃないんですよ、嫌いになんかなるはずないんです。」とにょもにょ独り言をごちている。そして言い訳をする様に「そんなこと考えてもみなかったし…。」と一人の世界に入ってしまった。

「馬に蹴られるのは御免こうむりたいな…」

 俺の本音だ。ぎりぎり聞こえないくらいの声を口の中で転がし、一瞥を向けた。これに関しては俺が出る幕じゃないだろ。

「…思い着かないなら自分がされて嬉しいことでもしてやるんだな。金子が無かったら尚更誠心誠意してやればいいんだよ。…こんな感じでいいか?」

 言い切って後、体の筋肉を総動員して跳躍する。適当な木の枝に着地して今だ悩む姿を一度だけ見下ろし成り行きについていけずきょとんとしたままの小此木に背を向ける、さてもう帰るか。

「諸泉さん!ありがとうございました。いちおう参考になりました!」

 慌てた声に振り向けばまだ顔を妙な顔をしたままの小此木がいた。

「一応かよ!…あー、どういたしまして。」
「ついでにちょっといじわるでした!」
「なんだそりゃ。」

 遠くから「にゅーもんひょー…っ。」と声が聞こえる。それを最後まで聞かないまま俺は塀を蹴っていた。


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