しのぶ

□乱太郎と七松と
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 熱い熱い。ごうごうと音を立てて煮えたぎる大きな窯の淵にわたしは立たされている。誰かがわたしの背中を押し、湯気の立つ水面に鼻先が近づく水の匂いがする。むわり、湿気が頬を撫でる。

(熱いよ。)

湯がかれそうになったまさにその時に目が覚めた。

「…夢、だ…。でも熱いや…。」


 ぱちりと目を覚ませばおおよそ現代日本とはかけ離れた見慣れない木製の天井。ほんのりと漂う医務室独特の薬品の香り。

「…ここ家じゃなかったなあ。そーいえば…。」

 周りは薄暗く、襖はしっかりと閉じられている。目は暗闇にだんだんと慣れていき、わたしは辺りを一度くるりと見渡してみたけれど人の姿は見えなかった。七松君と善法寺君はどこに行ったんだろうか。誰もいないとふいに認識してしまうと不安が胸を蝕んできた。よく考えれば男二人に囲まれてわたしは何と不用心に眠りこけていたのだろうか、これからどうなってしまうのだろうか。

(あ、そうだそうだ。電話入れなきゃ…)

 こんな夜になってまで帰宅してないんだからお母さん怒るだろうなあ、一度連絡しなきゃと布団から体を起こして、はた、と動作が止まってしまった。

「ケータイ、鞄の中だし…」

 なんてこったい!と口に出さないまま落胆する。わたしの記憶が正しければ鞄は恐らく、未だに池でどんぶらこしているはずだ。そして防水対応していないわたしのケータイのデータもどんぶらこっこと流されているはず。衝撃的な七松君との出会いで手持ちその他諸々はすっかり頭からすっぽぬけていた。

「わたしのばかやろー…」
「ええ…!いきなり何事です?」
「…自分の性格についてちょっと…抜けてるにもほどがあると…え?」

 一人もんどりうっていると頭の上から声がした。七松君や善法寺君に比べればずっと高い声で女の子の声よりは低い。

「お粥、持ってきました。食べれます?」

 顔色だいぶん落ち着かれましたね、と続けるのは文字通り男の子だった。小学生ぐらいだろうか、ひょろりとした体格で善法寺君と同じく色素の薄い短い髪の持ち主。見慣れた短い髪の毛は男の子が動くたびにふわふわ揺れてなんだかタンポポの綿毛を思い出す。着ているものはやっぱり着物?甚平?で濃い水色に丸やシャープの模様があった。男の子はお粥の入った土鍋の乗ったお盆を置き、その動作でずれた丸いレンズのメガネをくい、と一度上げた。

「…ありがとうね、いただきます…ええと、」
「私、猪名寺乱太郎です。善法寺先輩と七松先輩に頼まれて、お姉さんの看病をするように頼まれました。」
「わたしは小此木千尋だよ。…そうなんだ、一人で偉いねえ。」
「保健委員ですから!」

 それに一人じゃないですよ、お粥を作ってくれたのは川西左近先輩だし桶の水を変えに伏木蔵が行っててくれてるしと答えてくれた。

「乱太郎君って呼んでいい?」
「はい、小此木さん気分はどうですか吐き気とかないですか?」
「糸子で構わないよ。…吐き気はないかな、体はぽかぽかしてるけど…。」
「まだ熱があるんでしょうね…でも大丈夫です!新野先生のお薬はよく効きますから!さっそくですけど、お粥召し上がっちゃってください。お腹に何か入れないとお薬飲めないし飲んだ時に胃が荒れちゃいます。」

 ぱかりと土鍋のフタを開くと湯気と共にいい匂いが鼻をくすぐる。乱太郎君がお茶碗に移してくれたお粥を受け取りふうふうと息を吹きかける。

「火傷しないようにし「あっ…つう…!」てくださいって言おうとしたんですけど、あははは…。」
「ははは…。」

 お水どうぞと、乱太郎君に湯呑を手渡され口をつける。冷たすぎずカルキ臭くなくておいしかった。暫くして少し冷めてきたお粥をさじで掬って食べ始めると乱太郎君は薬の準備をし始めてくれる。

「もうちょっとで先輩方、帰ってこられると思います。一刻もしない内に戻るっておっしゃってましたから。」
「…『いっこく』?」

 おや?と違和感を覚えたところで襖の向こうから「ただいまー!」と大きな声が響き「入るぞー!」と同時に襖が開いた。

「七松先輩、声かけるのと同時に襖開けちゃ意味ない気がします。」
「細かい事は気にするな!あ、お粥だ。千尋私も一口。」
「え、ああ…はい。」

 七松君は何時もこう突然なんだろうか。すとん、とわたしの横に胡坐をかいて目線を同じまで下げた七松君は少し猫背気味だった。彼の勢いに圧倒されて思わずOKしてしまう。わたしの手をすっぽりと覆った七松君の大きな手はさじごとむんず、と掴みお粥を掬って口に放り込む。実に流れるような動作だった。

「おわわわ…、わわわ…」

 男の人と手をつなぐなんて小学校以来だ。

「おお…千尋さんが沸騰している…じゃなくて!駄目じゃないですか先輩病人に止めさしちゃ!」

心臓がバキバキ音を上げているのがわかる。ああ恥ずかしい!羞恥に打ちひしがれているにも関わらず七松君はけたけたとおどけている。

「そうか、それはすまん!」

 気が抜けた。

「間接ちゅーだな!」
「…ふぎゃん!」

 爆弾も落ちた。


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