しのぶ

□七松と善法寺
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「ねえ小平太…」
「なんだ?」
「小此木さんって『誰』?」

ふと伊作が神妙な顔つきのまま問いかけてくる。顔は千尋の方に向け、額に乗った温い手拭いを取り桶の水に漬けた。彼女は静かに寝息を立てている。伊作の薬がよく効いたらしく辛そうな様子今はない。
伊作は例え間者だろうが刺客だろうが病人けが人であれば放っておけない性質である。小平太は一年生だったころから嫌というほど熟知している。勿論『忍』に取って向いていないということも、その性質が実に好ましいということも。だから伊作が病人の千尋をどうにかする気は一切ないと小平太は確信できるのだ、出来る故に手離しでこうして安心して伊作に任せている。

「かわいいだろ。」
「そうじゃなくってさ、」
「もっと、こう他人行儀じゃなくってもいいんじゃないか?フランクに行こうよなーなーあー千尋ー」
「それでもなくってね…」

『あの』小平太が。
七松小平太という人物を知っていれば、まさかと聞き返すはずだ。池に沈みかけていたぐらいではこの男は人助けなんてしないだろう。精々『頑張れよー』と訳のわからない声援を送るぐらいではなかろうか、面倒見のいい『留三郎』や『長次』ならまだしもである。しかも忍術学園にまで連れ込んで甲斐甲斐しくも世話を買ってでているとは。
矢羽根で小平太からことの全貌を聞いた時は伊作もわが耳を疑ってしまった。

「一目惚れでもしたのかい?」
「んー?私はそんなに軽くないぞ?」
「じゃあなんで。」

この少女を連れてきたのか、と暗に問えば、小平太はふうと気が抜けたように息を吐いた。

「私はな、伊作。千尋が実に気に入っているんだ。」
「…は。」

今度は伊作の口から息が漏れる。

「それで、連れて来たの?」
「そうだ。」
「それ、一目惚れと対して変わらない気がするけど。」
「大違いだ。」
「…そう。」

 『あの』小平太が。『気に入った』と。六年生の中でも観察眼と直観力に優れた小平太にここまで言わせるとは小此木千尋というこの人物、それこそいったい何者であろうか。又聞きした話によれば門をくぐった時はなんとも不可思議な出で立ちをしていたという。

「なんか余計気になってくるよ。」
「…駄目だぞ伊作。糸子は私が最初に見つけたんだからな。」

なんだそりゃ、伊作はそういって苦笑すると桶を持って立ち上がった。水はもう随分と温くなってしまった。

「井戸に行ってくるよ。」
「おお。私は千尋をみているぞ。」
「容体が変わったらすぐに知らせてくれ。」

じいと千尋を見ている小平太をそのままにして伊作は井戸の方に足を向けた。

(嵐の前の静けさ、とでも言うのかな)

直にひと騒動起こるのは目に見えている。学園の教員、上級生に、聡い下級生が彼女の出現にはたしてどんな反応をしてくるのだろう。そして学園長は。
伊作の声のない疑問に答えてくれるものは誰もいない。ただ縁側を風が吹き抜けるばかりだった。


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