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どうか今だけ、ほんの少しだけ。
望むものは、ただそれだけ。
ただそれだけでいい。
だからどうか。



inverse



軽い音と共にスライドしたドアから出来る限り音を殺して踏み入れば、小さく
緩やかな、機体維持のためだけの微かな音を感知する。
光源のない、自分の物ではないその個室。その部屋の主はとうに休んでいた。
見やると、いつも無駄に自信に溢れ真っすぐに前を見つめるアイセンサーは、
今は閉じられた目蓋のなかにその姿を隠していた。
自分が立ち入っても、整った顔立ちがその静寂を携えていることに安心したように、
しかし緊張は解かずに傍へと歩み寄る。
片手をついて、その上に触れぬよう、無駄な音をたてぬよう慎重に覆いかぶさった。
きしり、と寝台がほんの僅か軋んだ音を鳴らしたが、彼はその特技からか目を開かない。
暗い中に横たわりながら、しかしそれでも鮮やかな赤と金が存在を主張する。
眩しいものを見るように目を細めた。
改めて思う迄もない、憎たらしいほど整った豪奢なその機体は、糸が切れたかの
ように動かない。
まるでこちらの武器を食らったかのように───時が止まったかのように、動かない。
「間抜け面で寝やがって」
くつりと喉が鳴り、唇が緩やかな弧を描いた。
動かない。
それでいい。
眠ったままでいい。
起きなくていい。
だから、今から言う言葉も、彼には届かなくて構わない。
他愛もない行事に許される嘘の奥底、その裏側に隠した言葉は、何一つ聞こえなくていい。

「クイック」

聞こえなくていい。
(聞かないで欲しい)

「クイック」

届かなくて構わない。
(届かないで欲しい)

「バーカ」

起きなくていい。
(起きないで欲しい)

「────……」

眠ったままでいい。
(意識は沈んだままで)

「……クイック」

どうか今だけ、ほんの少しだけ。だからどうかそのままで。

「────大嫌いだ……」

殆ど吐息の言葉は、静かな空間にすぐに霧散する。
そっと唇を重ねても、しかし何一つ反応を示さない。
彼は変わらず、動かない。

「クイック…」

時が止まれなどと思わない。
ただ、ほんの数秒の許しだけでいい。
聞くもののない、嘘に隠した感情を吐露する僅かな時間が、ただそれだけが。

「……クイック」

静かな声に、答えはない。辺りに漂うのは、穏やかな空気。
閉じた目蓋は開かない。
望むものは、ただそれだけ。


おわり

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