APH*

□忘却の壺
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「あの……“師匠”と呼んでよいでしょうか?」

3度目に勉強を見て貰った休憩中。
恐々思案していた事を願い出てみた。
きょとんとした表情で瞬きして
「師?なんで」
頬杖をつく。

「教えを請うのですから……貴方は私の“師”です!知らねばならない事は沢山ありますし……」

話ながらつい力が入る自分に気づき、恥ずかしくて俯く。
教えを請うのに歳は関係ない。
遥か年下でも“先生”である……この場合“先生”と呼ぶのが相応しいのだろう。
しかし私は“師匠”と呼びたかった。
理由は他にもあるのだが、彼に対する私の気持ちがきっとそうなのだろう。
まだ数日しか滞在していないし、彼の事を何一つ知りもしないが。

彼は非常に面白い。

あ……でも『駄目』って言われたらどうしよう。
バクバクと煩い心臓の音を抑え彼の表情を窺う。
じぃーっと私の顔を眺めるとゴリゴリと後頭部を掻いた。

「ん〜、ま・いーゼ?」
「ありがとうございます!師匠!」

良い返事に嬉しくて両手を合わせた鼻先にぴっと指先が伸びた。
「けど!俺の名はちゃんと覚えろ。なんかお前、それで通しそうな気がするわ……」
「うっ……善処します」

触れて欲しくない所を。

つっと視線を反らすとその指で顎を上げる。
覆いかぶさるような至近距離に、ニヨニヨと意地悪そうな含み笑い。

「俺の名を云ってミソ」
「ぅっ……」

茶目っ気のある語感の、その赤い双眼は威圧的だ。
さっきとは違う心拍の速度に胸を抑えた。変な汗が湧く。

「今日は1回も云ってねぇな、そーいやぁ」

数えているのか!

言葉が出ない。急激に喉が干上がったようだ。
実はあの晩以降始まった、不意打ちの“名前当て問答”に一度も一発で当てた事がない。
必死に反らす視線を回り込むように覗き込んでくる。

「……忘れた?」
「い…いえ!だっだだ大丈夫ですとも!……く・クラウドさん」
「プ・ロ・イ・セ・ン!誰だよ、そりゃぁ」

大袈裟に喚き上体を伏せた。
恐れ入ります。すいません。と謝罪しつつ、頬を掠める白い頭に触りたくて視線が釘付けになる。とはいえ、この状態で触ったら本当に怒られてしまう。

“師匠”と呼ばせて欲しいというのも“名がなかなか出てこない”から、でもある。
“師匠”と呼ぶのに名が出てこないというのは大問題……全く不甲斐無い。

「ったく。なんだってそうスパーッと忘れられンだ?小難しい名じゃねぇだろうがよ」

呆れたように溜息をつき体を起こすと、小さなカードを卓上から抜きペンを走らせた。

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