APH*

□上巻
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兄さんが病院に送られたと聞いた時。
またオーストリアに余計なチョッカイをして、怒れるハンガリーにボコられたか。
または、とうとう脳髄まであのおかしなテンションが湧き広がって、完全に別世界へ旅立ったか。と思っていた。
だからあまり真剣に聞いていなかった。

目下、EU全体に広がる恐れのある頭の痛い金銭問題についてのレポートや、見たくもない書物の山前にそちらの方に意識が向いていた。
第一、あの兄は体力と体の丈夫さは化け物並みなのだ。
弟のオレが云うのもなんだが、妙にハズした運の良さまで兼ね備えてる。身内でも困るが敵にはしたくはない。
絶対。

間を措かず再度しつこく鳴る着信にしぶしぶ応じ、先までの自らの行いを悔いた。
話を聞きながらコートを引っ掛け、急いで部屋を飛び出す。



対応に動いたのは外務省の高官だった。
“国”の化身という存在のオレ達は“人名”という、もう一つの名を生まれた時から持っている。とはいえ現在の“人”にとって、自分達のような存在は理解しにくく化け物に近い訳で。
巷で公にしたくない問題があった時など、外務省が身元引受になっている。
エラい人が直接出て来る訳にもいかないからだ。

入り口で待機していたコートの男が目聡くドイツを確認し、姿勢を正し礼を取るのを片手で制す。

「すまんな、どうなっている」

高官は兄が軽傷で念のため精密検査を受けた旨を話し、警察と病院には黙って貰ったと伝えた。
歩きながらその過程を続ける。
薬物中毒者の無謀な運転に、突っ込まれそうになった母子達を付き飛ばし、自分が轢かれたという。
兄らしいと云えばそうかもしれないが、らしくないと云えば実にらしくない話だ。

なんだ、その地方新聞の片隅にあるような美談は?
イギリス飯でも喰わされたか、ロシアの呪いが珍しくクリーンヒットでもしたか。

病室にはもう1人、官僚と白衣の初老の男と若い男、看護婦が2人。
その奥のベッドに兄が横たわっていた。

「兄さん」

横たわる顔はいつも通り、白っぽい銀髪に包帯が巻かれているのが痛々しい。
襟や肩に飛び散った血糊がソレを強調する。腕に点滴らしい管が繋がっている。
初老の男がフランス訛りのある静かな声で名乗り、状態を説明した。

「精密検査をしました。中の方が心配だったのと、頭をね。強く打ったようなので」
「軽傷と聞いたが」
「CTでは異常は見られませんでした。意識が戻り次第、診察して何事も無ければ帰れますよ」

頷き、ドイツは立てかけてあるパイプ椅子を引き寄せ腰を下ろす。
官僚たちが医者と話ながら部屋を出る。
手続きは高官達が片付けてくれるだろう。


兄と自分だけになった部屋。横たわる兄を眺める。
意識が無いといえ、これほど静かで動かない兄を見るのは、久しぶり過ぎて気持ちが悪かった。
まだ幼かった頃。兄は今程騒々しくなくて時々、じっと何か思案しているような所を目にした事がある。
全てを拒絶するような雰囲気が凄く悲しかった。
口が悪く態度も悪く、何を考えているか判らない辺りは今も変わらないが。
当時は常に眉間にシワを寄せ、弟でも傍に行くのが恐かった。
携帯を取り出し操作する。数コールで相手は出た。


「すまん、こんな時間に」

少し低い静かな声はドイツの心を落ち付かせた。幾つか言葉を交わして

「その兄さんの事だが。実は……」

事故の事を手短に伝えた。僅かな沈黙があったもの、相手はいつもと変わりなく淡々と話しドイツを気遣う。
これが歳の功というものなのか。と思う反面、感情のままに泣いてくれればいいのに。とも思う。
まぁ、軽傷で意識が戻ってないだけだから泣くのもオカシイ気がするが。
しかし重体で生死の境目にいたとしても、きっと同じ対応で泣く事はないだろう。
数日後こちらに出向く事を聞いて通信は切れる。

「日本、こっち来るって」

反応のない兄へ伝える。

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