ハコニワノカケラ

□恋  心
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恋心
- 悠悠我思 何以贈之 瓊瑰玉佩 -




手にした書簡を抱え直し、大きく息を吐く。
そうやって呼吸を整えてから、貴方の執務室の前に立った。今も緊張は上手く隠せず、感情を抑えようとすれば代わりにひどく無表情になってしまう。
(これじゃまるで年頃の娘みたいじゃないですか)
ついでにもうひとつ溜め息をついてから、居を正して扉を開けた。
ところが、今日に限って私が入室したというのに貴方は顔も上げやしない。
よっぽど集中しているのだろう、その視線はじっと手元の書簡に注がれていた。
(珍しい…)
キリッと引き結ばれた厚めの唇に鋭い眼光。武骨な指が器用に紐を解き、新しい書簡を広げる。
目の前にあるのは年相応の落ち着きを持った一人の将の顔だった。
(あぁ、貴方はこんな表情もなさるのですね…)
普段はあまり見かけないその姿に、胸の鼓動が小さく跳ねる。
気づけば用件を告げる事も忘れ、じっと貴方の横顔に見入っていた。胸の奥に湧き出た温もりがじわりと身体中に広がってゆく。
(貴方の横顔…もう少し、見ていても許されるでしょうか?)

「曼成?」

しばらくしてようやく気付いたのか、書簡から顔を上げた貴方はやっと私の方を見た。
弾かれた様に動き出した身体は言葉を発する前に貴方の前へ行き、抱えていた書簡をその胸に押し付ける。
不思議そうに首を傾げながらも貴方は書簡を受け取り、そのまま私の手首を掴んで引き寄せた。

「どうした?」

書簡を手繰っていた大きな手が頬に触れ、私を映す貴方の瞳には優しい光が揺れている。

「…離して、下さい。何でも…ありませんから…」

貴方の顔を直視できず、顔を背けて一歩身を引いた。しかし、頬から首の後ろに回された手がしっかりと私を捕らえ、逃げることを許さない。そしてそのまま私の顔を覗き込む様にゆっくりと顔を近づけてきた。
咄嗟に身を固くしてキツく目を瞑る。
コツン
何かが額に触れた。
恐る恐る目を開けば、貴方が私の額に自分の額をくっつけている。

「熱は無さそうだが、ずいぶん顔が赤いな」

至近距離にある貴方の顔。
(本当に貴方はこんなにも鈍感で…)

「……なんだ?」

「……李典は……もう…子どもじゃありません」

視線を逸らしたまま抗議すれば、貴方は少し困った様に笑った。そんな顔を見せられては益々顔を見られない。

「曼成」

囁く様に名を呼ばれ、つい顔を上げてしまう。次の瞬間、唇を塞がれていた。
少し強引な口づけは溺れそうなほど甘い。
(本当になんて狡い人…)
唇が離れると、なぜか貴方まで顔が真っ赤になっていた。

「子孝殿…」

「…こう……その…ともかく、アレだ。そんな顔するな!誘ってるのか、お前は!!」

そして、なぜか両肩を掴まれ貴方に怒鳴られる。明らかに狼狽えている様はいつも通りの貴方だった。
(それなのに、こんなにも貴方が愛しくて堪らないなんて…)

「ハッキリと仰らない上、ご自分の行動を李典のせいになさるおつもりですか?」

「うるさい!」

「…人の唇を強引に奪った方とは思えないお言葉ですね」

「少し黙ってろ」

「だのに、それが嬉しいだなんて我ながらおかしいとは思いますが」

「お前な…」

言葉の応酬の最中も、貴方は私を離さない。温かなその胸に頬を寄せれば、腰に回された腕が強く私を抱き寄せた。

「……好きです、子孝殿」

溢れ出た想いが言葉になって零れ落ちる。そのまま貴方の首に腕を回し、口付けをねだる様にゆっくりと瞳を閉じた。

貴方が傍にいる。
ただそれだけの事がこんなにも幸せ。


【了】

我送舅氏 悠悠我思
何以贈之 瓊瑰玉佩
 『渭陽(詩経・国風:秦風)』より
《年上の貴方を送る/片時も貴方を思わぬ時はない/貴方に何を贈れば良いだろう/綺麗な玉や佩び玉を贈ろうか》
■“私を嫁にして下さい”という女子からの求婚の詩


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