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□過去拍手 愛しさ溢れて
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円やかな線が奏でていく。人であるのかもあやふやな、闇に溶ける前の幻想を。
暗がりに浮かぶ雛森の身体は青白く、細いながらもしっかりと肉の付いた肢体は妙に艶かしかった。
彼女が先に風呂に入っていたのかと直ぐに理解できたけれどどこか非現実的な光景に俺の身体は固まった。瞬きも忘れるほどで、まるで夢でも見ているかのような気分で暫し目の前の光景に釘付けになっていた。でもその静寂は長くは続かない。身体を拭き終えた雛森が此方に向きを変えた瞬間、当然お互いの目があった。瞬きほどの沈黙。その一拍のち、


「あ、や、その、」
「き………………………っ、」


雛森の顔が歪み、鼓膜をつんざくような悲鳴が辺り中に鳴り響いた。当然俺は大慌てだ。



「ばかー!出てってよー!!!」
「わ、悪い!」
「シロのえっち!」
「わざとじゃねぇ!」


慌てて脱衣所を飛び出して背中に罵声を浴びせられながら脱兎の如く走って逃げた。狭い部屋を横切って縁側に出ると裸足のまま庭に飛び降り、まるで恐ろしいものに追われてるかのように走って走ってひたすら走って。戦い以外でこんなに必死に走るのはいつぶりだ?きっと子供の頃、山で猪に追いかけられた時以来だ。あの頃と同じく無我夢中で足を動かす。けれどどんなに走っても白い身体が目の前にちらついて離れやしない。走ったくらいじゃとても振りきれそうにない。耳に残る雛森の叫び声と相まって俺の足に先程の光景が絡みつくからとうとう縺れて地面に飛び込むように転んでしまった。
何やってんだ俺………。
野道の真ん中で俯せに転けたまま、ぜいぜいと肩を揺らして自分の理解不能な行動に悩む。何もこんな遠くまで逃げなくとも良かったのに阿保過ぎる。大人になって転けたのは初めてじゃないか?しかも1月だというのに風呂に入る前だったから薄着で出てきてしまった。地区では正月から酒を飲んで暴れる馬鹿がいるがそいつらと何ら変わらなくないか?ゼェ、と息を落ち着かせながら俺は乾燥して固く冷えた土を頬に感じていた。不思議と寒くはない。寧ろ汗が噴き出して本当に今は冬なのかと思うほど暑かった。激しい息はなかなか治まらず、視界に映った雑草を無意味に引き千切ってみたりした。
びっくりした。滅茶苦茶びっくりした。あいつも驚いていた。当然だ。正常なやつなら驚くわ。ガキの頃とは違うんだ、笑って「シロちゃんもおいでよ」なんて言うわけがない。ああ息が苦しい。体温が下がらない。俺は白く凍えた雑草を握ると同時に唇を噛んだ。
俺はなんで直ぐその場から出ていかなかったんだろう。中に雛森がいることに気づいた時点でそっと立ち去れば悲鳴を上げられずに済んだのに。覗いた事実を心の中だけにしまっておけば平和に過ごせていたのに。俺は肝心な所で要領が悪い。雛森は咄嗟に手拭いで胸を隠していたけれどあの状況で隠せる部分には限界がある。ほっそりした身体にしなやかな手足がとても綺麗だった。

「…………はぁ。」


俺は内側の熱を逃すように息を吐いた。自然に浮かんだ単語に抗う気力も今はない。
綺麗だった。
そんな言葉を素直に認めてしまう。見惚れてしまうほど彼女の身体は綺麗だった。じわ、と身体の真ん中が更なる熱を持つ。溜まっていく雄を吐き出したいと身体が訴え始める。正直すぎる本能に泣きたくなった。
雛森に家族以上の感情を抱いていたけれど、胸のときめきは幾度となくやり過ごしてきたけれど、こんな頭が爆発しそうになったのは初めてだ。走り出さずにはいられなかった。押しこめてきた感情が最後の砦を突破したかのようだった。建前や体裁を洪水みたいに押し流し、見つめるだけの綺麗な気持ちの後に続くのは黒く汚い感情だ。自分の中からどろどろと溢れて修復の仕方が分からない。
彼女を自分のものにしたい。唯一になりたい。傍に置いて汚したい。これをどう処理すればいいんだろう。
もしかしてもう誤魔化すのは限界なのか?
不意に浮かんだ畏れに別の意味で心臓がざわついた。この気持ちを知られたら終わりだ。安らぎの空間も優しい家族も失ってしまう。


引き千切った雑草は鋭利な葉で俺の指に赤い傷をつけていた。







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