短編1
□開花の時
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走りながら雛森の頭の中はもうグチャグチャだった。
日番谷が誰かのものになってしまうなんて堪えられない。いつだって一番近くにいるのは自分だと、何の根拠もないのにそう思い込んでいた。
あの綺麗な翡翠の瞳はどんな女の人を見つめるのだろう。あの口下手な彼が優しく囁く相手は誰なんだろう。
あたしじゃないことだけはわかってる。ニッコリ笑って頑張ってねって言えたらいいのに。応援してあげたいのに。今のあたしじゃ到底出来そうにない…。
喉の奥が痛くてたまらない。
日番谷を見るのも辛くて飛び出したけど、心無い言葉を投げ付けてしまったという後悔の念と失恋の痛みとで十番隊執務室を飛び出す前よりももっと胸が苦しくなった。
やみくもに走り続ける雛森。
どこへ行くというアテもないのでいいかげん止まればいいのだが、アテが無いからこそ止まれない。けれども立ち止まったが最後、絶対に涙が零れる。確証はないが自信はある。顔に受ける風が涙を乾かしてくれているのかもしれない。
走り続けたまま、ギュッと目を瞑った。
「うわあっ!」
「きゃああ!」
目を瞑ったまま走れば当然前方は見えないわけで、雛森は角を曲がって現われた隊員に思い切りぶつかってしまったのだ。
「ったたた。」
「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」
「雛森副隊長!?」
「ごめんなさい。あたしがちゃんと前を見ていなかったから…。」
ああ嫌になる。自分でも何してんだかわからない。挙げ句のはてに人に迷惑をかけて。
ぽろりと雛森の瞳から涙が落ちた。
「ひ、雛森副隊長!?あの、……。」
隊員が狼狽しているのがわかる。慌てて頬を流れるそれを拭うのだが、一旦堰をきった涙は簡単には止まってくれそうもなくて溢れる一方だ。
「ふ………。」
「あ、あの雛………」
目の前で泣き出されてほおっておける者などいない。ましてや男性死神から絶大な人気を誇る雛森となると尚更だ。
隊員の前で涙してしまったことに困りながら瞳を潤ませている雛森に自然と隊員の指が近付く。と
「こいつが世話かけたな。」
あと数センチというところで日番谷が隊員の手首を掴んで制した。
「あ、日、日番谷隊長……。」
突然の日番谷の登場に目を剥く隊員。やはりというかなんと言うか、おいそれとは何人たりとも雛森に触れさせないのが日番谷だ。それは瀞霊廷の人間全員が知っている。日番谷は礼を述べたが掴んだ手首にはギリリと力を込めて
「悪いな。後は俺が見るから。」
と僅かに霊圧をあげた。
「は、はい!失礼します!」
「………………ったく、隙あらばスケベ心を出しやがる。」
逃げて行く隊員の背を見て日番谷は腹立たしげに呟いた。そして雛森に向き直り、グチャグチャになった顔を拭おうと手を延ばしたが、雛森はプイ、と背を向けてしまった。
「…おい。」
「何しに来たのよ。」
「…なんか知らんが怒ってるみたいだから追いかけて来たんだろーが。」
「あたしのことなんか追いかけなくてもいいのに。もっと別な人追いかけたいくせに。」
「なんだよ、それは。雛森こっち向けよ。」
「やぁっ……、」
肩を掴んで無理矢理向かせると泣き濡れた顔が現われる。
「さっきからどうしたんだよ?俺は単に非番の日を聞いただけだぜ。」
「………あたし知ってるんだから。」
「何をだよ。ハッキリ言え。」
「日番谷君。…………来週のお休みは好きな人とすごすんでしょ?」
「はあ?」
「惚けないで!噂になってるんだから!十番隊長は来週の非番は好きな人と過ごすらしいって!」
「…………。」
大方松本あたりが噂の出所だろう。
日番谷が雛森に惚れている事実はかなり有名らしいが本人には微塵も伝わってない。その証拠に雛森は更に顔を赤らめて睨み付けてくる。
嫉妬……か?
ということは雛森は日番谷に惚れているということになる。
やべぇ…。顔がニヤける。
いつもいつも嫉妬しているのは自分の方ばかりだと思っていたのに。
雛森も日番谷へ同じ想いを寄せていると確信出来ると、日番谷の胸の内から何とも言えない喜びが溢れてくる。子供のように睨み付けてくる雛森が愛しくて愛しくて、日番谷はふっ…と笑みをみせた。
「んなっ!なにがおかしいの!?あたし真剣なんだから!」
「ああ、お前は本気で俺に惚れてんだよな。」
「…ええ!な、なん…、あ、あたしは…、えっと、あれえ?」
日番谷に言われて混乱する雛森。今までも相当めちゃめちゃだったのに更にわけがわからなくなった。