短編1

□放熱
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放熱A




フロントからキーを預かりエレベーターに乗って部屋へ行く。そこまで今日の予定は計画通りに進んでいた。
あいにくの悪天候で当初の行き先は代わったけれど、遊園地が水族館になっただけだ。一旦ホテルにチェックインした後近くの温泉へ行き、辺りをぶらぶらしてディナーを食べる、そんな予定。
なんの問題もなく俺と桃の初旅行は進んでいた。たとえ大雨でも屋根の下へ入ってしまえば空の機嫌なんて俺達には関係無かった。


何か不都合があったとするならば雨のせいじゃない、桃が可愛すぎたからだ。

薄っぺらいルームキーで鍵を開け、手頃サイズのツインの部屋に入った時、俺がバタンとドアを閉めたら桃が恥ずかしそうに振り返った。入り口から数歩歩いた所で桃は頬を染め、それまでのはしゃいだ空気をがらりと変えた。

晴れていれば大きな窓から明るい日差しが注ぐのだろう。ネットで選んだだけだがいい部屋だと思う。簡易なテーブルセットにテレビ、冷蔵庫、二つのベッド。ごく一般的な普通の部屋だが今夜、ここで俺と桃は初めて一晩過ごすのだ。


「け、けっこう広くて良かったな。」


「う、うん、そうだね。あ、上着掛けようか?」


「じゃあ、荷物はこっちへ…。」


「あ、ありが、」


なんだか急に緊張して互いに会話がぎこちない。身体もうまく動かない。
桃の荷物を預かろうと手を伸ばしたら、彼女の手とぶつかって、咄嗟に二人とも手を引いてしまった。
当然荷物は重い音をたてて二人の間に落ちたのだけど、俺も桃も追いかけられなかった。


さっきまで楽しそうに笑っていた桃がぶつかった片手を守るように両手を胸元で握り合わせた。眼下の桃は耳まで赤く染めて小さく震えていて、それを見た時なんだか頭がカーッとなった。


みっともないくらい初心者な俺達は、今から夜を意識して身体の奥に火をつけた。惚れた女を前に上がる一方な熱、その鎮め方も誤魔化し方も俺にはわからない。
相手に向かって吐き出すしか方法は無いかのように桃も俺も動きを止めた。

二人の間には彼女の持ってきた少し大きな鞄が一つ、足元に居座ったまま。邪魔と言えば邪魔だけど、今の俺達には大した障害ではない。そんなこと気にならないくらい桃しか見えない。





激しい雨はまだ降っている。窓なんか見なくても音だけでさっきから変わっていない天気だとわかる。







薄暗い部屋でどれくらい向かい合っていたんだろう。沈黙が長く感じさせるがきっと僅かな時間なんだと思う。



「雨……きつくなってきたね………。」


「……あぁ…これじゃあ出かけられないな……。」


お互いに嘘をついた。
車なんだから出ようと思えば出かけられる。現にさっきまで俺達は足を濡らすほどの大雨の中、笑いながら外を歩いていたし、この後の予定も立てていた。

室内の暗さと沈黙が俺達をこの部屋に引き止める。


出られない。


口にした言葉が頭の中で反響する。
俺はこの部屋から出たくない。





ずっと俯いていた桃が震える睫を上げて俺を見上げた。深い藍に引き込まれるように俺は桃の肩を掴んで引き寄せた。




 
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