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□20201217day「鬼芥子」
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モモノコドモ?


頭の中を婆ちゃんの言葉がゆっくりと巡る。
聞き違いか?
誰の子だって?
婆ちゃんが雪という子供の頭を撫でながら発した人名を上手く頭の中で処理できずにいると、そんな俺を見透かすみたいに婆ちゃんは微笑んだ。
俺はもう一度子供の顔を見た。瞬きもせずに俺を見つめる目とぶつかる。潤いをたっぷり含んだ瞳は言われれば確かにあいつによく似ている。不安げに眉を下げた表情も小さな口も、目許も鼻も、本当だ、どこもかしこも雛森にそっくりだ。
もしかして俺の子か……?
一瞬、思ってしまったがそんなことあるわけない。第一、計算が合わない。俺と雛森の関係はこの子が生まれるずっと前に終わっていた。そんな俺に被せるように婆ちゃんの声が追いかける。


「4年ほど前に地区の若い衆と結婚したのさ。」
「え?」
「死神を辞めて桃がここに戻ってきたのは知ってるだろ?」
「………。」
「自分の食い扶持くらいは稼ぐといって茶屋で働き始めたんだよ。それこそ朝から晩まで休む間もなく。」
「…………。」


副隊長だった雛森は貯蓄も多かったはずだ。まったく働かずとはいかないまでもそこそこの稼ぎで贅沢しなければ生活していけるくらいには持っていたと思う。なのにがつがつ働き始めたのは潤林安に骨を埋める意思の表れか。瀞霊廷には2度と戻らない決意があったということだ。

「そこの客で簪職人がいてね。瀞霊廷に店を持ってて貴族相手に商売してる人で、」
「そいつが雛森の旦那か?」

呻くような声が出た。
婆ちゃんは子供の頭を撫でながらやはり頷く。

「ああ、」
「………うさん臭ぇ野郎じゃなかったのか?」
「とんでもない。桃のこともこの子のこともとても大切にしてくれるいい人だったよ。」
「だったってなんだよ、いねぇのか?逃げたのか?」
「事故で亡くなったのさ。雪が生まれて1年も経ってなかったのに。」

婆ちゃんは続ける。

「可哀想に、まだ幼い雪を抱いて桃は毎日泣いてねぇ……………でもこの子を育てなきゃってそれまで以上に働いて……身体を壊して………。」

そこで婆ちゃんの言葉は途切れた。子供を撫でる手が抱き締める手に変わる。俺は腹の底から猛烈な怒りが沸いてきた。
あの丈夫な雛森が身体を壊す?
風邪さえもめったにひかないほど健康だったやつが?
いったいどんな働き方をすれば弱るんだよ。

「もともとどこか具合が悪かったみたいで……雪を産んでからあまり調子が良くなくてね。薬草を煎じて飲んだり地区の医者にかかったりしたけどすっきりしなくて…。」
「なっ……んで!直ぐに連絡してこなかったんだ!瀞霊廷ならここよりもいい医者はいっぱいいる!直ぐに見せれば雛森は……、」

俺は膝の上で拳を握った。元々具合が悪かったってどういうことだ。俺はそんなこと一言も聞いてねぇぞ。
けど婆ちゃんは首を横に振って。

「婆ちゃんも冬獅郎を頼ろうと言ったよ。けどあの子は自分の死期を解ってた。できるだけ雪の傍にいたいと言ったんだよ。」
「っ、」

くそ!と歯噛みした。雛森の言いそうなことだ。どこまでも人のことばかり。けど生死に関わるほどなら自分を優先しろ。もしその場に俺がいたなら思いきり怒鳴りつけて無理矢理にでも四番隊へ運んでいただろう。もし、
そう考えて今までの自分を振り返る。俺は随分昔にもう雛森に関わろうとはしなかったじゃないか。死んだと聞かされた時にも帰らなかった。彼女へ向けたあらゆる感情は死んでいた。それを今更ぎゃあぎゃあ言う資格はない。俺はぐっと唇を噛んだ。
こんな自分勝手な薄情者を婆ちゃんは一言も責めず、それが返って辛い。
婆ちゃんの膝の上からつぶらな瞳が俺を襲う。雛森の子供とやらは怯えているくせに瞬きもせず俺を見る。怯えの中に俺を非難する色が混じっているのは婆ちゃんに声を荒げたからだろう。俺はこの目を知っている。真っ直ぐ素直に自分の意思を伝えてくる、言葉よりも表情よりも雄弁な瞳だ。頭の隅っこに消し去った筈の雛森が朧気に浮かぶ。皆に愛される笑顔で赤い芥子の花畑に立っている。笑いながら早く来いと俺を呼ぶ。雛森は不思議な女だった。彼女に名前を呼ばれると世界は急に優しくなった。
俺は深い息を1つ吸った。

雪と呼ばれた子供は俺が見つめても目を逸らさない。俺は1度目を閉じて気持ちを切り替えた。過去の話は後でいくらでもできる。

「………………それで………婆ちゃんの具合はどうなんだよ。」
「婆ちゃんはもう元気だよ。」
「でも俺が来るまで寝てたんだろうが。そんなんで子供の世話ができんのか?」
「この子は案外手が掛からない子でねぇ。」
「……………でも地区のやつらはそう思ってねぇから俺のとこに知らせてきたんだろ。」
「皆、心配性だから……。」

のらりくらりとかわされてる気がする。こんな時の婆ちゃんには何を言っても無駄なのだ。不言実行するしかない。
俺は溜め息をつくと決意した。

「暫く通うよ。毎日は無理だけど暇を見つけて帰ってくるよ。」
「いいよいいよ、冬獅郎は忙しい身じゃないか。」
「溜まった有休を使いたいんだ。」
「いいって。」
「それに…………。」

つぶらな瞳を見遣るとやはり見返される。まるで水面だ。こいつは瞳に映ったものを何の干渉もなく、そのまま記憶するのだろう。母親に似た眼差しでこいつはどのように俺を消化するんだろう。

「雛森の子を見てみたい。」

俺を見て怯えた仕草をするくせにこの娘はけっして受容も服従もしないだろう。
雛森は死んだというけれど、ちゃんと証を残している限り、彼女は今も生き続けているのだ。


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