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□20201217day「鬼芥子」
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「隊長、明日の非番はまたお婆様の所ですよね?」


松本が花瓶を窓際に起きながら問うてきた。時期外れの赤い花が視界を掠める。花弁の薄い赤い花は潤林安でよく見かける芥子に似てて、同時に一人の女を思い出させる。



婆ちゃんの具合が悪いという一報が入ったのは十年も前の話だ。
俺はそこで初めて雛森に子供がいたことを知り、婆ちゃんの負担軽減のため流魂街通いを始めたのだが十数年も年月を重ねるとそれももう当たり前の習慣になってしまった。周りの人間も最初は俺が休みの度に潤林安に行くものだからその都度様子をあれこれ訊き、話題にしていたが今ではもう誰も興味を持たない。
表向きは体力の落ちた育ての親の様子伺い、しかしその実は……。

雪のことは松本にも平子にも誰にも言ってはいない。雛森を可愛がっていた松本が雪の存在を知れば一も二もなく会いたいと言い、雪のことを気にかけてくれるだろう。平子だってそうだ。
しかし俺はその存在を隠した。

「ああ、そうだが何かあるのか?」
「いいえ、何も御用は無いんですが火急の用があった場合に備えて伝霊神機は持っててくださいね。隊長この間忘れてたでしょ。」
「分かった、気を付ける。」
「そうそう、訊くだけ無駄だとは思いますが明日修兵達と久しぶりに恋次んちに行くんですが……、」
「お前らだけで行ってこい。」
「ですよねー。一応お知らせしただけなんでお気になさらずいってらっしゃいませ。」
「おう。」

何故雛森が瀞霊廷を去ったのか、結婚したこと子供がいること、雛森に関するすべてを俺は誰にも言わず隠し続けた。雪の出自に疚しいところはなく隠す理由もないがどうしても皆に知らせる気にはなれなかった。死神を辞めた後の雛森を訊かれても答えられないし何より雪に死神に興味を持ってほしくはなかった。雛森の娘は流魂街でひっそりと暮らし、やがて転生の時を迎えてほしい。雛森が死神にならなければそうなっていたであろう行く末を雪に歩んでほしいのだ。他の地区とは違い潤林安は比較的平和だ。雛森は潤林安に居続ければ質素だがそれなりに幸せになれたはずだ。彼女は死神になったばかりに要らぬ苦痛を多々味わった。そう、傷の舐めあいをしなければならないほどに。
俺は筆を置き、目頭を押さえた。俺の下で悲しい目をしていたあいつがまざまざと思い出される。

なぁ雛森お前そう言ったよな?俺達の関係は傷の舐めあいだと。痛んだ心を修復できず快楽という麻薬で誤魔化しているだけだと。それほどにお前の傷は深く抉れていたのか?昔受けた傷は治らなかったのか?


「お疲れですか?」
「いや、平気だ。」
「急ぎの仕事はありませんし今日は早く上がってくださいね。」
「ああ、そうする。」


松本は俺が帰省することになんの疑問も持たず、2、3の雑用を片付けると机仕事に戻っていった。雪のことは少しばかりの後ろめたさはあるものの必ずしも報告しなければならないことでもなし、俺は明日の休みを快適にするべく手を動かした。





「雪。」
「あ、おじさん!」


婆ちゃんちが見えて来るとおさげ髪の少女が戸口から出入りしているのも見えてきた。雪だ。
雪は裏庭で山から拾ってきたらしい薪を家の軒下に積み重ねている。細い身体に黒い三つ編みを見つけて声をかけると雪は作業の手を止めてにっこり笑った。通る声で「いらっしゃい」と言い「お婆ちゃんが冬獅郎が来たら薪を割ってほしいって言ってたよ」とすかさず伝言。もうすぐ冬がくるのだ。毎年この時期には寒さに備えて薪の備蓄や家の修繕、保存食を作り出す。それは俺と雛森がこの地区に住んでいた頃から変わらない。昔雛森がやっていた諸々のことを今はその娘がやっている。
雛森が死んで十年。雪は十三になった。

「婆ちゃんは?」
「家の中だよ。お昼御飯作ってる。」
「お前少しは料理作れるようになったのか?」
「あたしは食べる方専門だからいいの。」
「いつまでも婆ちゃんに甘えてっといざという時に困るぞ。雛も「またお母さん?その話はもういいよ、耳にたこが出来ちゃう。」

呆れたように言うと雪は残りの薪を手際よく積み上げて家へ入っていった。そうして中にいるらしい婆ちゃんに俺が来たことを声高々に響かせる。俺はその後について入りながらまたやっちまったと密かに口を押さえた。
年々死んだ母親に似てくる雪を見ているとつい雛森と比べてしまう。それは自分で思ってる以上に口に出しているみたいで雪は辟易している素振りを隠さない。

「冬獅郎、おかえり。」
「ただいま婆ちゃん。なに?外にある薪を割ればいいのか?」
「ああ、雪から聞いたのかい?ゆっくり休んでからでいいよ。もう昼飯にするからね。」
「そんな多くなさそうだから今するよ。」
「急ぐこたぁないさ。ほらもう米が炊けた。」
「お婆ちゃん、あたしご飯食べたらみっちゃん達と山に行ってきていい?」
「ああ、気を付けていくんだよ。」
「山に何しにいくんだよ。」
「栗拾いするの。みんなで手伝ってくれるんだって。」

嬉々として話す雪に俺は頭の中で「みっちゃん」とやらを浮かべる。同じ地区に住む雪の友達だ。この辺りで霊圧のある子供はそう多くなく、食べ物を必要とする子供は俺の知る限り雪だけだ。雪は自分が霊圧持ちだと自覚もあるし俺の職業も知っているが死神になりたいとは言わない。母親が死神だったことも俺や婆ちゃんから聞いて知ってはいるがなりたいとは思わないらしい。それよりも目先にある日々の暮らしが大切なんだそうだ。俺は随分前に雪からその言葉を聞いてほっとした。人を救いたくて死神を目指した雛森はその生き方に満足していたかもしれないが、常に危険と隣に合わせだった。いつ殉職しても不思議ではない仕事に俺の気が休まる日はなかった。母親のやっていた仕事を知り、死神の存在を知った雪がいつ雛森のように死神になりたいと言い出すか内心ひやひやしていた俺は雪のあっさりとした返事に胸を撫で下ろした。できることならこのまま流魂街で………。その思いは変わらない。

「みっちゃんて橋を越えたとこの……?」
「そうだよ、あと涼ちゃんと花ちゃん。」
「いつもの連中か。」

雪の幼い頃からの面々だ。耳馴染みのある名前に安心し、あまり奥深くにはいくなよと釘を刺す。この中で霊圧があるのは雪だけで、きっと雪が昼飯を食べている間そいつらは待っているんだろう。雛森と仲が良かった辰吉と歩を思い出す。父母がおらず老婆との二人暮らしだと友人の存在は良い刺激だ。

「信ちゃんも来るって。」
「信?そんなやついたっけ?」
「最近こっちに来た子だよ。信ちゃんはあたしと同じで霊圧があるの。だから色々教えてあげるんだ。」

少し得意気に言って雪は婆ちゃんが用意した昼飯に手を付けた。

「お前もう少しよく噛んで食え。大きくなれねぇぞ。」
「大丈夫、また大きくなったもん。おじさんと違ってあたしは伸び悩んでないの。」
「うるせぇよ。」

飯をかきこむ食いっぷりの良さとは裏腹に雪の身体は細い。そういう体質なんだろうがもう少し肉がついてた方が見ていてほっとするのに、と思う。俺と雛森ががりがりだったのは明らか栄養が足りてなかったせいだが雪の衣食は俺が支援してるんだから足りないなんて言わせない。着物だってあまり豪奢な物は目立つからと婆ちゃんに止められたから控えめにしているが薄っぺらい生地の物は使わせないようにしている。周りから浮かぬよう贅沢をせず、かと言って身すぼらしくない生活をさせているのに雪は痩せっぽちだ。
そういや雛森もずっと細かったな。

「雪ー!」

外から子供特有の高い声がした。
雪はパッと表情を明るくし「はーい!」と叫ぶと残りの飯を大急ぎで口に入れ、使った茶碗を流しに運んだ。そしてそのまま草履をつっかける。

「お婆ちゃん行ってきます!」
「はいよ、いってらっしゃい。」

勢いよく出て行った雪の後を追うように俺は箸を置き、雪の背中を見送りに出た。偶に雪の友達に強面の叔父の顔を見せておくのは防犯にもなるかと思う。よからぬ友が年頃になる娘にちょっかいを出さないとも限らないからだ。
誘いにきた友達の元へ雪が駆けていく。それを眺めながら俺は着物の袖に手を突っ込んで腕を組むと戸口にぼんやりと凭れかかった。
あれが友達か……。
涼や花の顔なら分かる。みっちゃんとやらも。けどあいつは初めて見る顔だ、恐らくあいつが信なのだろう。短い焦げ茶の髪はこの地区には珍しい。雪と同じくらいの身長で、きっと年も近い。雪が近づくと少年は穏やかに微笑んだ。俺はとても優しそうな少年に安心する。直ぐ姉貴面をする雪に振り回されてんだろうなと想像できるくらい大人しそうな少年だ。
けどは牽制はしておかなきゃな。


「雪!遅くなるなよ!」

部下をどやしつける要領で声を張り上げると遠くにいる雪は振り返って満面の笑顔で手を振った。隣にいる少年も俺に気づくとペコリと会釈をひとつして二人連れだって走っていった。昔から変わらぬ風景の中を雛森の娘が行く。同じような背格好で、同じような走り方。年を追うごとに確実に母親に似てくる雪に俺は時折はっとさせられる。
俺は戸に肩を凭れかけさせながら目を閉じた。雛森を思い出すといつも一番に浮かぶのは笑顔のあいつではなく疲れた顔で涙を落とすあいつだ。白くて細い背中が十年経った今でも目に焼きついている。俺は今でも彼女が何を望んでいたのかわからない。好きだと言えばよかったんだろうか?誰よりも愛していると囁けば雛森は今でも俺の元にいたんだろうか?
目を開けると小指ほどに小さくなった子供達が見える。2つに結わえた雪のお下げ髪が楽しそうに揺れている。その隣の茶色い髪は信と呼ばれたあの少年だ。その信が振り向いて俺を見た。その瞬間無意識に腹に力が入った。

遠目だから勿論やつの視線なんてわからない。分からないが挑むような気配を感じたのは考えすぎか?
信は雪の手を掴むと二人でそのまま走っていってしまった。

なんだあいつ……?




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