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□20201217day「鬼芥子」
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俺は瀞霊廷を出た雛森がどうやって生きていたのか知らない。知りたくもなかった。
死神としての蓄えはあっただろうが長い人生を支えるほどではなかったのだろう。俺を拒絶し流魂街へ戻り、再び貧しい生活に身を投じただろう雛森を、最初俺は苦労すればいいと思っていた。世話好きの姉貴気取りな態度をとるくせにどこか甘えたで世間知らず。
だいたい雛森の思考回路は昔から理解し難くて、よく解らない理屈を捏ねて周りの者をかき乱す。俺にもっとちゃんとしろだとか、こんな関係おかしいとか、急に疲れたように告げられてブチ切れてしまった。仕事も生活も順調なのに何がいけないんだと不機嫌になると、問題ないと思ってることがおかしいとなじられた。口喧嘩は数えきれないほどしてきたけれど、あの日からぱったりと雛森は俺の部屋に来なくなった。彼女に買ってやった髪留めがいつまでも俺の部屋の隅っこに落ちていたのを覚えている。二人で市に行った時、ぶらりと立ち寄った小物屋で見つけたものだ。青い花の細工物は雛森にとてもよく似合っていたから遠慮するあいつを無視して買ったのだ。それが捨てられた子犬のように暗がりに転がっていた。忘れていったか捨てろという意味か図りかねて結局髪留めは踏んで壊してしまうといけないと思い、箪笥の奥にしまったきり。もしかしたら思い出して取りにくるかもしれない、そんな戯けたことも考えた。しかし雛森は何も言わず俺も彼女に声をかけることはなかった。半ば意地になっていたと言えなくもないがそれきりだ。ひょっとしたらまた元に戻るかと心の何処かで思っていたが、彼女が死神を辞めたと知ってそれも消えた。ひとつ消えふたつ消え、そしてなにもかもがプツリと消えてしまったのだ。
己の過去に憤る、これを後悔と呼ぶのだろうか。




「おじちゃん、もっかい読んでぇ。」
「ん?あ、ああ………。」

胡座をかいた膝の上から雪がくりくりの目を向けてくる。俺は急に現実へ引き戻されて急いで作り笑いをした。
婆ちゃんの体調が戻るまで暫く通いつめることにした俺は、あれから1度瀞霊廷に帰ると翌日に全ての仕事の段取りをつけ、何とか週に2、3日ほど定期的に潤林安へ来れるようにした。松本ら部下達には祖母の具合が悪いからとだけ伝え、雛森の娘の話はしていない。もし知らせればあいつと仲の良かった松本なんかはきっと会いたいと言うだろうし余計な世話を焼かれそうで恐かった。他人の目を気にしながら雛森の娘と落ち着いて接する自信がない。現にこの娘に触れる度、俺の胸の奥に小さな小波がたつのがわかる。

「ねぇねぇ、早く読んでぇ。」
「あー……どこからだ?」

雛森によく似た雪という子供は2度目の再会時には随分と懐いてくれた。俺が帰った後、婆ちゃんがうまく説明してくれたのか俺のことを冬獅郎おじちゃんと呼び、初対面の時には見られなかった笑顔も覗かせてくれた。こいつは笑い方まであいつに似てる。婆ちゃんと雪と3人で川の字に寝て幾晩か過ごせばもう膝に乗って昔話をせがむほどだ。そんな日々を重ねていくと婆ちゃんも安心した表情で俺達を見る。
だが懐いてくれるのは嬉しいが雛森そっくりのこいつを見てると説明し難い複雑な心境になってしまう。

「えーと、あるところにお爺さんとお婆さんが、」
「違うよ、続きからがいいの!」
「続きどこだよ………。」


気合いの入っていない読み聞かせに小娘から叱咤が飛ぶ。本をよく見ろとばかりに小さな手がバンバンと紙面を叩き、しっかりしろと言う。護廷十三隊の次期総隊長と揶揄されているこの俺がこんな幼児に振り回されているなんて部下達には絶対見せられない姿だ。それでも何とかかんとか読み進め出すと雪は満足げに絵本に見入った。しかし昔々で始まるお伽噺ももう何回めだ?ってくらい繰り返し読まされて俺は喉がからからだ。子供ってこうなのか?それともこいつがしつこいだけなのか?世の親は子供の要求になんと対抗してるんだ?仕事をしている方がよほど楽だと漏らしてしまいそうだ。
そんな些か疲れてきた俺を見て婆ちゃんが助け船を出してくれた。

「雪、家の中ばっかりじゃなくて少し外に出て遊んだらどうだい?」
「お外?」
「この前見つけた鳥の巣を冬獅郎おじちゃんに見せてあげておくれ。」
「……おじちゃん見たい?」
「すげぇ見たい。今すぐ行こう。」

そら立ち上がれと言わんばかりに小さな身体を持ち上げて立たせてやると雪は楽しそうにぴょんぴょん跳ねた。これ以上昔話を読ませられちゃ今夜は桃太郎の夢を見ちまいそうだ。

「おじちゃんといっしょ!わーい!」

雪はぴょんぴょん跳ねながら戸口へ向かう。その背中を目で追いながら婆ちゃんがそっと俺に言う。


「あんなに楽しそうにする雪を見たのは久しぶりだよ。」
「…………。」
「桃が死んでからあまり笑わなくなってねぇ。」

婆ちゃんの目に涙が光る。俺は視線を逸らして「母親が死んだんだ、無理もねぇ」と返した。

「おじちゃーん、まだぁ?」
「今行く。」

幼い声はもう家の外。俺は婆ちゃんにちょっと散歩してくると告げて草履を履いた。


「あっ、ちょうちょ!」
「あ?ありゃ蛾だ。」
「が?」
「ああ、ま、蝶々とあんま変わらねぇけどな。」

足元で芥子が風にそよいでいる。ふわふわと幻想的に花弁を揺らし、まるでそっちの方が蝶のようだ。雛森の子と手を繋いで歩くなんて1年前は想像もしなかった。
雪の手はまだまだ小さくて、俺の中指と薬指の2本を紅葉の掌で包みこめばもうそれだけでいっぱいだ。俺は絡みついた手を握り返すというよりも指先で摘むようにして手を繋ぐ。赤子ではないがそれに近いくらい小さくて細くて柔らかい。強く引っ張れば腕が抜けてしまうんじゃないかと恐くなる。
俺と雪は昔から変わらぬ潤林安の道をどこへ行くともなく歩いた。適当なところで引き返せばいい気分転換になるだろう。赤子ではないがまだまだ雪は目が離せぬ子供だ。とても一人では出歩かせられない。
こんな幼い子を婆ちゃんが一人で育ててるのか…………。
雛森が一人で育てようとしたように今は婆ちゃんが育てているのだ。いくら慣れていると言っても婆ちゃんも年だ、昔より明らか体力は落ちている。旦那を亡くした雛森は老いた婆ちゃんと赤ん坊を連れてどんな風に日々を過ごしていたんだろう。俺はフウセンカズラのように丸い小さな手を壊さぬようそっと掌に収めた。かつての雛森もこうして繋いでいたに違いない。






「婆ちゃん、俺、今夜はここに泊まるよ。」
「え?今日も?仕事はいいのかい?」
「ああ、今の時期は暇なんだ。」

俺の帰郷は頻繁になった。休日のみに限らず仕事が早く片づけば、その足でこの家まで来る日もある。周りの者は俺が再び潤林安通いをすることにホッとしたようだった。
婆ちゃん一人での子育てを垣間見てしまえばその大変さに放っておけなくなったのだ。だが、端から見れば奇妙な3人だろうとは思う。


「雪ー、もう寝るぞ。身体が冷えねぇうちに布団へ入れ。」
「はぁい。」


潤林安に限らず流魂街の夜は静かだ。
いつも通り3つの布団を敷いて雪を呼べば可愛い声が返ってくる。
婆ちゃんが針仕事をしているうちに雪を寝かしつけるのが俺のここでの日課だ。寝着を着た雪が子犬のようにとたとたとやってくると拡げてやった布団の中へころりと横になった。が、今夜は直ぐにまた起き上がり、忘れ物をしたかのように戸棚へと手を伸ばした。

「おいこら、早く入れ。眠れなくなってもしらねぇぞ。」
「おじちゃんに見せてあげる。雪の綺麗なやつ。」
「あ?なんだそれ?」
「おかさんの、雪がもらったの。」
「え………?」


そっと幼い掌に乗っていたのは見事な平打ちの銀の簪で。雪は合わせて飾り櫛も出してきた。その両方に桃の花が施されている。華美でなく、かといって地味にも見えず、これを頭に挿せば、ほどよく引き立ててくれるのだろう。俺の脳裏にこれをつけた雛森が容易に想像できた。同時に雛森の夫となった者が彼女にこれを贈ったのだと理解に易い。男が女に簪、櫛を贈るなど求婚に他ならない。
雛森の………。
ぎり、と無意識に内頬を噛んでいた。
「共に苦難を乗り越え死ぬまでいっしょに」「愛する者の名前を刻み幸運を願う」身に付ける装飾品を贈るにはそんな想いがつき纏う。間違いなくこれは雛森が旦那から貰ったもの。大切に保管されていたのかその2つは真新しい状態で雪の掌に乗っていた。こんなもの俺が見たって意味がない。なのに瞼は動かず目をそらせない。

「これ雪が貰ったの。おっきくなったら付けていいんだって。」
「……………。」


嬉しそうな雪を前に俺は言葉が出ない。

「おかさんがおとさんに貰ったんだって。」
「…………。」

ああ、そうなんだろうよ。

「とってもとっても大事なやつだから雪がおっきくなるまで仕舞っとくの。」
「…………。」

旦那の想いが雛森に渡り、それが娘に行く。とても自然な家族の流れだ。夫婦の思い出を娘が受けとることにはなんの不思議もない。俺はその2品を穴が開くほど見つめていた。自慢の取って置きを俺に打ち明けて楽しそうな雪だが共に笑ってやることができない。ともすれば睨み付けてしまいそうになるのを拳を作って必死に堪えた。
雛森は愛されていた。本当なら喜ばしいその事実に怒りが湧く。殆ど一方的に俺に別れを告げた後、自分は俺とのことは忘れたかのように別の男と愛を育んでいたということだ。簪に象られた桃の花弁、櫛に彫られた同様の花、その男がどれだけ雛森を愛し幸せを願っていたかがわかる。それを大切に扱っていた雛森の、男に寄せる心も。
俺の髪留めは棄てて行ったくせに……!
鉄の味が舌に拡がる。死者に怒りを向けても仕方がないが目の前の二品を粉々に砕きたい。

「お婆ちゃんが無くさないようにここに仕舞っとけって言ったから雪がおっきくなって髪が長くなるまで置いとくの。おじちゃんまた見たくなったら言ってね。見せてあげる。」
「…………ああ………。」

呻くように声を搾り出した。雪は宝物を披露できて御機嫌で布団に入る。その隣へと横になりながら俺は昔の雛森を思い出していた。不思議なことにここへ通うようになってから俺は彼女のことを考える。ずっと無関心だった空白の時を埋めるみたいに知るはずのない雛森を想像する。

「おじちゃんは寝ないの?」
「お前が寝たら寝るよ。」
「ふうん。」
「だから早く寝ろ。」

さらさらの髪をゆっくり撫でてやると雪は素直に目を閉じた。それでも暫く他愛もない言葉を交わしていたが布団の上から胸を叩いてやっていると深い呼吸に変わっていった。長い睫毛が瞼を縁取る。寝顔をよく見てみるとこいつは本当に雛森によく似てる。目尻の下がり具合、唇の形、耳もあまり大きくは無さそうだ。旦那の要素はどこにあるんだ?性格か?婆ちゃんは雛森の旦那の話をあまりしない。大柄だったのか若かったのか、雛森は鈍感なやつだったからはっきりした性格のやつじゃなけりゃとても結婚とまではいってない。簪職人なんて変コツな輩しか浮かばないがどうなんだろう。健やかな寝息をたてる雪の頬を指で撫でる。こいつの半分は確実に俺ではない男の血が混じっているのだ。雛森が添い遂げてもいいと決めた男の血が。
胸の内側が焦げる音がした。


雛森が瀞霊廷を去った時も死んだと聞かされた時もどこか他人事だった。終わりを告げられた時は醜いほど詰め寄って彼女をなじったのに完全に無関係な間柄になってしまえば俺は驚くほど薄情だ。まるで感情が凍りついてしまったかのように雛森に対して心が動かなかった。
なのに今、彼女はもういないにも関わらずあらゆる感情が融解する。
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