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□20201217day「鬼芥子」
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鬼芥子(オニゲシ)


*原作大人日雛














瞼の裏で鮮烈な赤が揺れる。
花弁はひらひらと薄っぺらく、風が吹けば容易く破れそうなほど脆い野花。けれどその頼りなさも艶やかな色も焼けつくほど強烈に残るのはどうしてだろう。












雛森が死神を辞めた時、俺達は本当に終わったんだと思った。
新年度が始まる直前まで五番隊副隊長として勤務していた雛森は、新しく新人隊士が入ってくるのと入れ替わりのように辞職をした。一旦死神になった者は軽率な理由での脱退は認められていない。雛森は身体的理由による退職だと聞いて俺はその理由を疑った。しかし、いくら詮索しようが俺には関係ないのだ。もう他人として生きていくと決めたのだ。だから俺は雛森が瀞霊廷をいつ去ったのかも知らない。
まだ、春にしては肌寒い季節だった。冷たい雨が降る中、雛森は誰にも見送られず一人、瀞霊廷を出たという。




彼女の訃報を聞いたのはそれから10年後のことだ。部下が沈んだ面持ちで雛森の死を伝えてくれたが俺は一言「そうか」と応えただけだった。別に驚きはしない。衝撃でもない。ただ胸に小波のように寂寥たる気持ちが拡がっただけ。咲き終いの桜が雪のように舞い落ちる中、俺の全身全霊をかけた者はもういないと心に染み込ませた。
この世界から女が1人消えたところで世界は通常通りの時を刻む。日々の業務は何ら滞りなく進んでいく。
なんだこんなもんか、と思った。
彼女の一挙手一投足に大慌てをしてた自分は若かったとしか言いようがない。涙の一滴も出ず、胸に刺さった小骨のようなトゲはいつか消える。それを無視していれば俺はやがてあいつの存在を忘れるのだろう。そういえばそんな花があったなと思う程度に記憶に残るのだ。


瀞霊廷を去った後、雛森は流魂街に戻ったと人伝に聞いた。恐らく婆ちゃんの元へ帰ったと思われる。すべてが憶測の範疇を出ないが俺はそれを自分で確かめることはしなかった。雛森が死神を辞め、戦闘に刀を奮うことがなくなれば俺が彼女を護る理由はない。俺は護廷で死神を続け彼女は流魂街で平和に生きる。俺達の道ははっきりと違えたのだ。確証はないものの、雛森が婆ちゃんの元にいると思うと俺の足は自然と潤林安から遠のいた。彼女と顔を合わせてどうする?会っても何も話すことはない。とても無駄で無意味なことのように思えた。だから適当な理由をつけて何年も帰らなかった。婆ちゃんとこんな数年にも渡って会わないなんて初めてのことだった。雛森に会わなかったのも。
でも会わなければ会わないで結構毎日過ごせるもんだ。寂しさとは少し違う、心にぽっかりと穴が空いたこの感覚をどう例えればいいんだろう。彼女のいない毎日は何も問題なく過ぎていき、本当に不都合など何もない。寧ろ仕事に集中できていいことばかりだ。とてもいいことばかり。心を動かさないのは疲れないし能率も上がる。いい。
雛森が瀞霊廷を出て十数年、俺は次期総隊長かと噂されるほどになった時だった。松本が綺麗に畳まれた文を俺の机に置いた。


「隊長、潤林安のお婆さまから使いが来て隊長にこれをと。」
「………………………なんだ?」

とんとご無沙汰になった婆ちゃんからの文に俺の心は微かにざわめいた。けれどそんな動揺はおくびにも出さずに松本から手紙を受け取る。

「お婆さまはなんて仰ってるんですか?」
「………体調が思わしくないそうだ。」
「ええ!大変じゃないですか!」
「ちゃんと看病の者がいるらしい……この手紙はそいつからのものだ。」
「けどこうやって文を寄越すということは隊長に戻ってきてほしいという意味じゃないですか?」

確かにそうだ。もともと婆ちゃんは風邪をひいたくらいで俺に知らせたりしない。雛森が死んで以来の便りに何か他に理由がありそうで俺は筆を置いて思案した。松本が神妙な顔をして控える。何かあるなら行かないわけにいかないだろう。

「………松本、明日、留守を頼めるか?」
「もちろんです。隊のことは心配せずゆっくりなさってきて下さい。」
「悪いな。」

俺の足が遠のいていたことを知る松本はパッと表情を明るくした。少しバツの悪さが過ぎる。今の俺は親不孝を叱ってくれる者がいない。けれどそこを深く考えてはいけないのは分かるから仕事に取り掛かるフリをして心を鎮める。
かくして俺は十数年ぶりに潤林安の土を踏むこととなった。












潤林安は俺がいた頃と何も変わらない。ほったて小屋のような家々、痩せた田畑、粗末な着物を着た人々。人の手が入ったそれらを嘲笑うかのように美しい空と大地。風景も住民もそのままだ。
婆ちゃんちが近づいて遠目に屋根が見えてくると俺は無意識に緊張した。足元の芥子が怯んだ俺を笑うように揺れている。隊長だ総隊長だと言われても根本の俺は変わらない。俺の足元を覚束無くさせるのはいつも原点だ。老朽した屋根1つを見ても息苦しさを感じてしまう。風で屋根が飛ばぬよう置き石をしたのはまだ俺と桃が関係していた頃のものだ。近づくと相変わらず小ぢんまりした小屋のような家だが庭周りは綺麗に掃かれ、手入れされている様から常に誰かの手が入っていると見て取れた。戸口に手を掛ける前に裏へと回ると一冬分もの薪が整然と積まれている。婆ちゃんがこんな力仕事をできる訳がないし一瞬雛森かと思ったが、女がするにはキツい作業だ。もしかしたら地区の男手に頼んだのかもしれないなと察しをつけて俺はあらためて表に回り家の敷居を跨いだ。

「…………………婆ちゃん……。」


掠れた声は情けないほど小さくて、薄暗い家の静かさに溶けて消えた。
余りにも久しぶりで昔はなんて声をかけていたか覚えていない。「こんにちは」か「お邪魔します」か。でもなんだか他人行儀だし「ただいま」というにはばつが悪すぎる。思えば俺は随分祖母を放置していた。それでも勝手知る馴染みの家で、俺は静かに草履を脱いで板場をぬけると奥の部屋を目指す。寝室と囲炉裏場だけの狭い家だ、襖をそろりと開けるとこんもりと膨らんだ布団がゆっくりと動いた。

「………誰か来たのかい?」
「……婆ちゃん……俺だ、冬獅郎だよ。」
「………………冬獅郎?」
「…………ああ………。」

懐かしい俺を呼ぶ声。膨らんだ布団が大きく盛り上がると婆ちゃんはむっくりと起き上がり、瞼の垂れた目を見開いた。俺が歩み寄り傍らに膝をつくと細い手で縋り付く。懐かしい祖母の手は長く見ぬ間にすっかり皺くちゃで、目に光るものを乗せ、笑顔で迎えてくれた婆ちゃんに俺は同じ笑顔を返せない。

「冬獅郎、本当に冬獅郎なのかい?」
「ああ……ただいま婆ちゃん……。」
「ああ、よく戻って……、ずっと心配していたんだよ、どうして今まで……。」
「……………ごめん。」

はっきりした理由も言わず、突然帰らなくなった俺を祖母は随分心配してくれていたんだろう。俺を抱きしめるように縋る婆ちゃんを俺は振り払えず、そっと背中に手をあてた。

「お前は優しい子だから、きっと理由があるんだろうと思ってた。でもここはお前の家なんだからね、いつでも帰ってきていいんだよ?」
「うん………うん。」

じわりと細い目に涙が光る。俺は唇を噛み締めて頷いた。婆ちゃんは長らく無沙汰にしていた俺を責めもせず罵りもせず、ただ顔をくしゃくしゃにして涙を流した。婆ちゃんは何も悪くないのに放置していた罪悪感が胸に伸しかかる。



「手紙見たよ……婆ちゃん……もしかして具合悪いのか?」
「大したことはないさ、ただの風邪だよ。婆ちゃんも年だからね近所の連中が心配して気を回してくれたのさ。婆ちゃん一人だとあの子の世話が大変だろうってね。」
「あの子?」

俺は首を捻った。婆ちゃんがあの子と呼ぶ人間が雛森以外思い当たらなくて一瞬「まさか生きてるのか?」と思っちまった。そんな馬鹿な話あるわけないのに。


「雪ー、どこにいるんだい?雪ー?」
「ゆ……き……?」

婆ちゃんが呼ぶととたとたと障子の向こうから足音が聞こえてきた。言葉を発することも出来ずに見守っているとやがて滑りのよろしくない障子がかたかたと開きおかっぱ頭の幼女がひょっこりと顔をだした。

「ああ、雪、どこへ行ってたんだい?一人で外に出ちゃ危ないって言っただろ?」
「雪………お花取ってきた……婆ちゃにあげる。」

舌足らずな声とともに小さな手が黄色い花を婆ちゃんへと差し出す。婆ちゃんはそれを嬉しそうに受け取って少女を膝に乗せた。


「…………婆ちゃん……この子は?」
「雪って言うんだよ。」
「どこのガキだよ、地区の子か?預かってんのか?」

近所の子供が遊びにくることはある。けれどこんな幼い子供を一人出歩かせるとは思えない。親は誰だ?それとも里親がいるのか?
早く真相が知りたいのにゆったり話す祖母が焦ったく、俺は婆ちゃんの言葉尻が待てない。一時的に預かってんのならまだいい。けれど俺を育ててくれたみたいにこの子を育てているとなると話は違う。婆ちゃんは高齢だ。こんな、まだ五つにもならないような幼児を育てるのはさすがに負担が大きい。俺は声を荒げた。

「親はどうした?遊びに来てんのか?婆ちゃん具合が悪いのに、」
「冬獅郎。」

詰め寄る俺を制止するかのように婆ちゃんの声に力が入る。大人の男の声が怖かったのかおかっぱ頭の少女は婆ちゃんの着物を掴んで懐へと身を寄せた。

「あんまり大きい声を出すんじゃないよ、この子が恐がってしまう。よしよし大丈夫だからね。」
「婆ちゃん。」
「この子は雪。もうすぐ3歳になる。桃の子供だよ。」
「は…………………?」








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